船の分類は必ずしも固定的なものではなく,国別,習慣などによって相違し,また社会情勢や産業構造などによっても変わってくるが,船を用途によって大別すると,商船,漁船,作業船,特殊船,艦艇などとなる。商船とは経済上の目的に用いられる船の中で,とくに旅客および貨物を運搬するものを指し,日本の商法でも,商行為を為す目的を以て航海の用に供するものと定義している。商船はさらに法規上では,旅客定員が12名を超える旅客船(客船)と12名以下の貨物船(非旅客船ということもある)に分類される。貨客船は旅客定員のうえでは客船に入るが,旅客のほかに貨物を積むものである。貨物船はかつては雑貨を運ぶ一般貨物船が主体であったが,近年の海上輸送量の増大に伴って,大型化とともに専用船化が進んできた。輸送量が増えると同種の貨物が大量に動くことになるから,これは専用船で運ぶほうが有利になる。専用船にはオイルタンカー,ばら積船,鉱石運搬船などの原料輸送の専用船のほか,一般雑貨についてもコンテナー船が出現し,一般貨物船の比重はだんだん低下してきている。
船の役割の重要性は現代に至るまで基本的には変わりないが,とりわけ商船は人類の活動の中で基本となる輸送の目的に用いられるものであるから,その発達史は人類の輸送活動の進展と,これにこたえるための船自体の技術の発達との二つの面からとらえることができる。ここでは前者を中心に解説することとし,後者については〈船〉および〈帆船〉の項目を参照されたい。
人類が船を用いるようになって少なくとも6000年以上が経過したとされる。丸木舟やいかだなどから帆船やオールをもつ船に発達を遂げたのは,前2100-前1200年のころであるが,船が用途によって軍船と商船に分けられたのはフェニキアの時代である。軍船が帆を備えながらも,帆走は巡航時や補助的手段として使用し,戦闘時には多数のこぎ手によるオール推進を用いたのに対し,商船は荷物を積むスペースを大きくとるため,多数のこぎ手を乗せることをやめ,かつずんぐりした船型として帆走を主体とした。フェニキア人はこの船でエジプトやローマを相手にオリーブ油や織物,宝石,青銅製品を運んで商行為を行っていた。ギリシア時代にも商船には軍船とは別のずんぐりした帆船が使われている。ローマにおいては地中海を中心にエジプト,さらにローマの植民地であったイギリスとの間で穀物輸送のために800隻もの商船が用いられたという。このような商船は大型化して,長さは30~35m,幅10mくらいのものになっている。
15~16世紀はいわゆる大航海時代であり,新しい領土の発見と大洋を航行して香料をはじめとする財宝などの遠距離輸送が行われたが,このような大洋航海を可能としたのは,北方系と南方系の船の特徴を併せもち,かつ縦帆と横帆を巧みに組み合わせた全装帆船であり,これは16世紀中ごろにはガレオン船へと発達を遂げた。17世紀に入ると,北アメリカ大陸やアフリカとの間の移民や商品の輸送が大西洋を中心に活発化し,海と植民地をめぐる争いも激化した。19世紀前後からの船は船型が平らになるとともに,甲板全体が船首から船尾につながった全通甲板が採用され,砲や貨物が多く積める構造になっていた。この時代は帆船の全盛であるが,蒸気船が発明されたのもこのころである。19世紀の初めから中ごろにかけては帆船の最後の活躍期で,高性能のクリッパーと呼ばれる高速商業帆船が出現した。
スエズ運河が開通したのは1869年であるが,このころを境として帆船の時代は終りをつげ,帆船と汽船の建造比率が,イギリスでは83年に,アメリカでは95年に逆転した。帆船が汽船にとって代わられた主たる原因は,この時代の要求するきめの細かな定期的な輸送と大量輸送に,帆船の性能が適応できなくなってきたためである。19世紀後半は貨物輸送のみならず大西洋の旅客輸送が急激に増加した時期であり,これに応ずべく,客船の大型化と高速化が推進され,とくに20世紀に入ると,大西洋定期航路の速力競争に与えられるブルーリボンの獲得を目ざして,国威をかけての豪華客船の建造がイギリス,ドイツ,フランスで競われた。このような華やかな客船の時代も第2次世界大戦後,航空機,とくにジェット機の発達によって終止符を打たれ,現在では商船は貨物船がほとんどとなっている。
日本は海に囲まれた国情から,早くから朝鮮や大陸との交易が行われていたものの,優れた航洋性を有する本格的な商船の出現は明治時代になってからのことであった。明治時代はすでに鋼船の時代であり,1890年に長崎三菱造船所で建造された大阪商船の筑後川丸(610トン)は日本最初の鋼製商船となった。その後日清,日露の戦争を経て日本経済の発展に伴い,また〈航海奨励法〉(1896),〈造船奨励法〉(1896)などもあって,1911年には日本の商船保有量は120万トン(世界第6位)に達し,20年にはアメリカ,イギリスに次いで世界第3位の海運国になった。昭和初期には浅間丸,鎌倉丸などをはじめとする客船のほか,優秀貨物船(いずれもディーゼル船)が多数建造され,丸シップとして世界の海で活躍した。これらは第2次大戦でほとんど全滅状態になったが,大戦後には再び非常な発展を遂げ,造船については昭和30年代の初めイギリスを抜いて進水量で世界一となり,1978年には船腹量3918万総トンに達し,実質世界最大の船舶保有国となった。
→貨物船 →客船
世界の商船の統計(総トン数100トン以上の鋼船の統計)からは,近年のオイルタンカーやばら積船の増加と大型化傾向が読みとれる。このような特徴は近年における輸送需要の増大と,これに対応した大型化による商船の経済性の向上に起因するものである。
船舶による輸送,ことに貨物輸送の特徴は,他の輸送手段と比較した場合に輸送コストの低さにあるが,これは海上輸送手段の輸送効率の高さによるものである。この特徴を見るために各種の輸送機関の比出力を比較したものを図1に示してある。比出力というのは輸送機関の所要動力HPを全重量Wと速力Vの積で割った値であり,これは輸送効率の逆数である。図では縦軸に比出力をとり,横軸には速力をとって,船以外の輸送機関も含めて各種の輸送機関について比出力の値を計算したものを示してある。比出力が低いものほど輸送効率が優れているわけで,この図で見ると船舶はとくに低速域でもっとも輸送効率が優れた輸送機関であることがわかる。とくに大型のオイルタンカーの効率は抜群である。このような優れた輸送効率が低コストの原油輸送を可能にしたのである。
図2-aはオイルタンカーにおける貨物1t当りの輸送コストと大型化との関係を示したものであるが,大型化によって著しく輸送コストが下がることがわかる。このような低下は載貨重量トンが50万tくらいまで続く。こうした理由からオイルタンカーの大型化が,第2次大戦後の原油の大量輸送の要請と対応して急ピッチで進められたのである(図2-b)。
商船の速力を考える際には,物理的な意味における水の抵抗からくる速力限界と,輸送経済的な意味での最適な速力との両方から考えることが必要である。前述のように,船は低速域ではきわめて効率が高いが,高速になると急激に抵抗が増して大馬力を要するようになり,30ノットくらいになると比出力の値は急増してほとんど航空機並み(速力は数十分の1であるが)になってしまう。これは船が航走する際に発生する波が抵抗(造波抵抗)として働き,速力が増すとその値が急激に増すためである。造船技術の進歩によって最近の船ではしだいに波の発生の少ない船型が造られるようになり,造波抵抗は著しく低減したが,大幅な高速域までの改善は困難である。このような点から軍艦といえども40ノット程度が上限となっている。一方,商船では輸送の経済性からくる最適速力がある。必要以上に高速化すると,機関も大きくなり燃料費も過大になる。商船の速力は高速化に対する社会的要請とそれを経済ベースで可能とする経済船速として定まる。客船の場合は高速化の要請が強く,30ノットを超すものも建造されたが,貨物船の場合,船速は単位量の貨物を最小のコストで輸送する条件とか,最大の収益をあげられる条件などから決められ,16~20ノットくらいが一般的であった。ただし,貨物船の中でも最近のコンテナー船の高速化は著しく,30ノットを超えるものも出現している。コンテナー船がこのように高速化した理由は,戸口から戸口への輸送時間を短縮できる点にある。従来の貨物船では,船自体を高速化しても港における貨物の積卸しの時間が短縮できず,これが全体の輸送時間短縮のネックとなっていたのであるが,コンテナー化によって荷役時間が著しく短縮され,船の高速化が生かされるようになった。さらに船自体についても,コンテナーを甲板上にも積めるために抵抗の少ないやせ形の船型が可能になり,経済ベースで高速化が可能となったのである。
→港湾荷役
商船はその種類に応じて独特の形態をもっているが,これは旅客,原油,コンテナーなどの積載物の種類によって決まってくるものである。また船の形態を船体部,機関部,居住室,船倉などの構成によって特徴づけることもできる。商船の設計では要求される機能を満たすための,これらの最適な配置や構造を定めるわけであるが,その結果が,上記のような形態の差を生むといえる。ただし,デザイン的には陸上建築などに比べ自由度は少なく,商船の形態はおのずから基本が定まっているともいえる。また,主要寸法(長さ,幅,深さ,喫水など)などは,性能や強度,経済性などを最適にするように定められる。このような技術は代表的なシステム技術であり,船舶は一つの巨大なシステム製品である。以下,このようなシステムを構成する基本的な各要素と自動化について概略をみることにする。
(1)船体 現代の商船はすべて鋼船である。船は木や皮などから鉄船の時代を経て鋼船になったが,現代の船に使われている鋼材は強度や溶接性などの要求を満たす非常に高級なものである。船体はこのような鋼材を用いた外殻(船殻(せんこく)という)から構成されるが,これは積荷を多く積めるようにスペースをなるべく大きくすることと,構造物として波浪などの外力に対して十分安全であることの両方の条件を満たす必要がある。また同時に建造しやすいことや,就航後の保守に便利なものでなければならない。船体構造は大別すると外板,甲板,船底,フレームなどとなるが,これらの寸法は船級協会の構造規程に合致することを要求されるほか,船体構造力学や振動学などの知識を総合して合理的に定められる。
(2)機関および推進装置 船の機関(舶用機関)はレシプロ蒸気機関から発達して,現在では非常に大馬力の領域が蒸気タービン,そのほかはほとんどすべてディーゼルエンジンが使われている。とくに後者は第2次大戦後に高過給方式のものが造られるようになって,大馬力の領域に進出し,従来,蒸気タービンが使われていた範囲もディーゼルエンジンに置き換わりつつある。現在では最大馬力も5万馬力に達した。また,燃料消費率の改善も著しく,さらに従来はボイラーでしか使えなかった低品位の重油も,ディーゼルエンジンで燃焼できるようになってきた。推進方式には古くは外車(外輪)が使われたが,スクリュープロペラ(プロペラ)がこれに代わり,現在の船はほとんどスクリュープロペラ推進である(非常にまれにジェット推進が使われることがある)。
(3)装備 船の各種の装備のことを艤装というが,艤装は船の多様な機能に対応する装置であり,荷役や居住設備などからなっている。
(4)自動化 合理化の要請と船の近代化に伴って商船の自動化が近年著しい進展を見せた。自動化は機関部の自動化と航行の自動化に大別されるが,機関部については現在ほとんどの商船で長時間の機関室内無人運転が可能となっている。航行の自動化は今後の課題といえるが,航行衛星の利用や通信技術の著しい進歩によって今後急速に進展し,航法に革命的な変化が起こる可能性がある。
→船舶自動化
執筆者:赤木 新介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本の商法では商行為を目的として運航される船をいう。一般には旅客または貨物を運ぶ船をさし、また軍船と対比してそれ以外の船をよぶこともある。初めて軍船と商船を区別したのはフェニキア人である。東はインド、西は地中海を出てイギリスあたりまで交易したフェニキア人は、商船隊を防衛するために武装した軍船をつくったといわれている。
古代の商船をしのばせる最古の文字記録は、『旧約聖書』のノアの箱舟で、記述から推定するとおよそ長さ137メートル、幅23メートル、深さ14メートルの三層船であった。この大きさは現在のトン数で1万5000総トンくらいあり、実在の船とは信じられないが、このような記述を生んだ背景には相当大型の船をつくる技術があったものと推定される。たとえば、紀元前3000年ごろのエジプトの墓石には13個の櫂(かい)をもつ船が刻まれている。また、前1600年ごろのエジプト寺院には長さ約60メートルと推定される艀(はしけ)の絵が残っている。この船は、神殿の門前に建てる長さ約30メートルのオベリスク(石柱)2本計700トンを乗せ、大型ボート10隻で引かれたという。その後商船は、海賊を防ぐために大砲を備えたり、平時は商用に適し戦時には軍艦となるような構造にするなど、軍艦と表裏の関係を保ちながら進歩するが、種類、性能、大きさなどで独自の発展を遂げるのは20世紀に入ってからである。
[森田知治]
用途上からは客船と貨物船に大別される。船舶安全法などの法規上は旅客員が12名を超えると、同時に貨物を運送できる船でも旅客船に分類される。一般には、旅客定員に比べて貨物量が少ないものを客船、貨物量が多いものを貨物船とよんでいる。1840年、大西洋に定期航路が開かれてから多くの豪華客船が生まれた。これらは高速化のための細長い船体が自然に優美な船体を形づくり、長い船旅を楽しませるためにりっぱな船室や食堂のほか、社交室、読書室、体育室から子供室、プールまであり、さながら洋上ホテルであった。第二次世界大戦後もその発展が続くものと思われたが、航空機の急速な発達によって旅客を奪われ、かつての繁栄はみられなくなった。そして、地中海、カリブ海などの観光地を周遊(クルーズ)する客船が多くなり、クルーズ客船という名が定着した。客船にはそのほか沿岸を結ぶフェリー、離島との間を結ぶもの、鉄道連絡船、さらには内湾・湖沼の遊覧船などがある。
貨物船のうち普通の大きさや重さの貨物、あるいは荷造りした貨物を運ぶ船を一般貨物船または普通貨物船という。それ以外は従来特殊貨物船とよばれていたが、第二次大戦前後から石油タンカーをはじめとして、鉱石運搬船、石炭運搬船、穀物運搬船、木材運搬船、鋼材運搬船、冷蔵運搬船など特定の貨物だけを運ぶ船が多くなって、専用船とよばれるようになった。第二次大戦後には、さらにコンテナ船、液化ガス運搬船、自動車専用船、ケミカルタンカー、重量物運搬船など戦前にみられなかった専用船が現れた。また、鉱石と石油、鉱石・石油・ばら積み貨物、自動車とばら積み貨物など2種類以上の貨物を必要に応じて運べる船も現れ、兼用船または多目的船とよばれている。商船は昔から時代の要請、産業や技術の進展に伴って発達してきたが、第二次大戦後の発達はとくに目覚ましく革新的ともいえる。
[森田知治]
戦前における最大の客船は1940年に建造されたクイーン・エリザベス号の8万3673総トンであった。戦後、60年代になってフランス号(6万6348総トン)およびクイーン・エリザベス2世号(6万7140総トン)が建造された。それぞれ当時の新鋭客船として注目を集めたが、大きさの点では戦前のクイーン・エリザベス号の記録を破る船は現れなかった。戦後の航空機の発達は目覚ましく、船旅と比べて桁(けた)違いの時間短縮は旅客を船から飛行機へといざなっていった。その後、政治、経済、そしてレジャーの面でも国際間の旅行が急増するに及んで、華やかであった豪華客船の時代は終わった。
貨物船では石油タンカーの大型化がとくに目覚ましい。1863年に最初のタンカーが出現したが、これは鉄製の石油タンクを船内に据え付けたものでタンク船といわれた。1886年には、船体外板を油タンクの外周とする現在と同じ構造様式のタンカーとなり、またこれが専用貨物船の始まりでもあった。第二次大戦前のタンカーは1万5000重量トン(1万総トン)が標準であったが、戦後世界の産業経済が軌道にのるにつれてしだいに大型化してきた。タンカーは速力をほぼ一定に抑えたまま大型化することにより海上輸送コストを下げることができる典型例である。戦後10年足らずの1955年にはアメリカのシンクレア・ペトロ・ロア号(5万5000重量トン)が5万重量トンを超え、59年にアメリカのユニバース・アポロ号(10万3000重量トン)が10万重量トンを超えたころから大型化が加速され始めた。続いて62年(昭和37)には13万重量トンの日章丸、66年には15万重量トンの東京丸および20万重量トンを超えた出光(いでみつ)丸が建造された。その後68年には33万重量トンのユニバース・アイルランド号(リベリア)、73年と75年には48万重量トンのグロブチク・トウキョウ号(イギリス)と日精丸が次々に記録を更新し、翌76年には55万重量トンのバチラス号(フランス)が現れた。記録を更新した各船は最後のバチラス号を除いてすべて日本で建造されていることは注目に値する。また、その期間は日本の造船量が世界のほぼ半分を占め続けた時期と重なっている。しかし、1970年代の二度にわたる原油価格引上げによってタンカーの大型化は終止符を打ち、さらに世界の海運、造船は長い低迷の時期に入った。
[森田知治]
高速で有名なカティー・サーク号(963総トン、1869建造)などクリッパー型帆船の最高記録は1日の平均で約15ノット、中国からイギリスまで約1万6000海里(約3万キロメートル)の平均で7.5ノットほどであった。大西洋航路では19世紀の初めごろから各国の船が速力を競っていたが、帆を使わずに初めて汽走で横断したイギリスのシリアス号(703総トン、1838建造)の平均速力は6.7ノットで、クリッパー型帆船と同程度であった。100年後の1938年ごろには、フランスの客船ノルマンディー号(7万9280総トン)とイギリスの客船クイーン・メリー号(8万0774総トン)とが抜きつ抜かれつして31ノットを超えていた。世界最大の客船クイーン・エリザベス号は新記録を期待されたが30.5ノットにとどまった。その後52年、アメリカが科学技術を結集して建造したユナイテッド・ステーツ号(3万8216総トン)は、それまでを大きく引き離す35.59ノットを記録した。
貨物船は、あまり高速にしても運送コストが高くなりすぎるので、客船ほど速くはない。昭和の初めごろからニューヨーク航路には高速貨物船が集中し、速力を競い合っていた。第二次大戦前の平均速力記録は、1938年(昭和13)の金華山丸(9305総トン)による17.93ノットで、53年(昭和28)めきしこ丸(9323総トン)が18.05ノットを出すまで破られなかった。その後も、54年の19.33ノット(榛名山(はるなさん)丸)、60年の20.3ノット(ぶるっくりん丸)、67年の21.48ノット(伊太利(いたりあ)丸)まで、同航路の記録を更新してきたのはすべて日本の貨物船であった。しかし、同年アメリカのコンテナ船プレジデント・バン・ビューレン号(1万0803総トン)の25.5ノットによって大きく差をつけられた。コンテナ船は、従来の貨物船より荷役時間を格段に短縮することによって、高速化のメリットを生かそうとして生まれた船である。このころから日本および諸外国でコンテナ船の高速化と大型化が始まり、えるべ丸(5万1622総トン、試運転最大速力30.96ノット)、鎌倉丸(5万1139総トン、同29.62ノット)など30ノット級まで進んだ。72、73年にかけて、アメリカのシーランド会社は高速を誇る8隻の同型コンテナ船(各4万1127総トン)を就航させ、太平洋で33.26ノット、大西洋で33.01ノットという客船に迫る平均速力を実現した。しかし、73年以後の相次ぐ石油価格の高騰で、高速よりも燃料費の節約のほうが有利となり、在来船では主機関の出力を下げて運航するようになった。その後、ディーゼル機関の低燃費化、排熱の再利用、大直径低回転プロペラによる効率の向上など、省エネルギーに関する研究、開発が盛んになっている。
[森田知治]
1961年、機関室外から主機関の遠隔操作ができる貨物船、金華山丸(8316総トン)が建造された。従来、船員が機関室内で常時当直にたち、主機関の発進・停止や逆転には人手が必要であったから、本船は世界で最初の自動化船として注目を集めた。さらに機関室の夜間当直が廃止され、続いて異常の場合のほかは機関室へ入る必要がない機関室無人化が実現した。日本では64年建造のばら積貨物船仁光(じんこう)丸(1万4152総トン)や、翌年の鉱油兼用船ジャパン・マグノリア(5万4857総トン)のころからである。油で汚れ、騒音が充満する機関室から解放され、作業環境のよいコントロール室から主機関の操作・監視が可能となったのは、汽船の出現以来およそ200年の船の歴史上、画期的なできごとであった。その後のコンピュータの発達に伴い、操船・荷役・機関制御などの機能別に自動化がさらに進んだ。70年の石油タンカー星光(せいこう)丸(7万3249総トン)のころからは、船全体を一つのシステムとして集中的に制御する方式がしだいに普及していった。これらの自動化によって、乗組員の労働が快適になり、安全かつ効率的な運航が可能となった。また、二度の石油危機の教訓から、なるべく少人数で船を運航しようとする気運が高まっている。すなわち、従来は35人程度であった乗組定員を、実験的に22人制または18人制として実際の商用航海を行い、その可能性を評価しようという試みが1979年以来続けられている。さらに、造船、海運の生き残り策として、最終的には乗組員をゼロに近づける、いわゆる知能化船の可能性を模索する研究が始まっている。
[森田知治]
『上野喜一郎著『船の世界史』上中下(1980・舵社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1263年(弘長3)鎌倉に向かう途中,遠州灘で鎮西の貢納船61艘が遭難した事実にその一斑がうかがえる。 主として鎌倉時代後半以降,荘園制の衰退と商品流通の発展にともない,輸送物資もしだいに商品が主要なものとなり,とうぜん年貢船に代わって商船の活躍がはげしくなった。1445年(文安2)1年間に東大寺領兵庫北関に入った商船の総数は1903隻に及んだ。…
…船が汽船となり,しかも大型化し,かつ使用目的から貨物船,客船,油送船などに分化し,一方,航海機器,舶用機関,通信設備などのめざましい進歩により,船の運航は専門的な知識と技能を必要とするようになり,職制は専門的に分化した。商船における一般的な職制は,船長の下に甲板部,機関部,無線部,事務部,医務部の5部があり,各部は職員と普通船員からなっている。甲板部,機関部,無線部の職員は,船長とともに海技免状を必要とし,船舶職員法により船舶職員といわれる。…
…小型の特殊な船では,フォイトシュナイダープロペラなどの特殊なプロペラを装備する場合があり,プレジャーボートや小型漁船では,エンジンとプロペラが一体となった船外機を装備するものもある。 船の主要な部分を占める商船は,ほとんど排水量型の船型であるが,側面形状と船橋および機関室の配置によって,上部の概略の形が規定される。側面形状は船楼(甲板が一段高くなっている部分)の有無と位置によって,船楼をもたない平甲板船,基本的には平甲板船であるが凌波(りようは)性を高めるために船首楼を有する船首楼付き平甲板船,上甲板上の船首と船尾に船楼をもつ凹甲板船(ウェル甲板船),上甲板上の船首,中央および船尾に船楼をもつ三島船three islanderなどに分類される。…
…1本マストに横帆の帆装が一般的であったが,船首に補助帆を展ずるくふうもすでに見られる。オールをもたずもっぱら帆走に頼ったのは商船として当然である。おおぜいのこぎ手とその食料を積めば貨物は積めず経済的に成り立たない。…
※「商船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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