バルト海(読み)ばるとかい(英語表記)Baltic Sea

翻訳|Baltic Sea

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルト海」の意味・わかりやすい解説

バルト海
ばるとかい
Baltic Sea

ヨーロッパ北部、スカンジナビア半島とヨーロッパ大陸との間に挟まれた内海。北緯54~66度、東経9~30度までの広がりをもつ。面積42万2300平方キロメートルで、世界最大の汽水域である。平均水深は55メートル、最大水深はゴトランド島北部で459メートル。スウェーデンフィンランド、ロシア連邦、エストニアラトビアリトアニアポーランド、ドイツ、デンマークの国々によって囲まれる。沿岸には工業都市が多い。地形的な観点から、ボスニア湾、ボスニア海、フィンランド湾、リガ湾バルト海主部、ベルト海およびカテガット海峡の7海域に細分される。狭義にはバルト海主部のみをさすこともある。北海とは狭くて浅いカテガット海峡でしかつながっていないため、水の入れ換えは不活発で滞留時間が長い。そのため、沿岸の工業地域や都市から流入する廃水によって汚染が進行し、重大な国際問題となった。海域が全面結氷することは数十年に一度しかないが、ボスニア湾、フィンランド湾、リガ湾などは毎年のように3~5か月間結氷する。この間船の航行が不能となるため、地域の経済活動に重大な影響が生じる。

[田口雄作]

歴史

バルト海は、古くからノルマン人(バイキング)、バルト・スラブ人などが相次いで活躍した通商路であった。13世紀ごろからハンザ同盟、ドイツ騎士団などに代表されるドイツ人が海上および沿岸地域に進出し始め、おもにデンマークからの激しい反撃を排して、中世末期にはこの地域を支配下に置いた。16世紀にハンザ同盟が衰え、かわってスウェーデンが東・南岸に進出し始めると、デンマークおよびポーランドはそれに強く抵抗したが、17世紀中ごろにはスウェーデンのバルト海支配は強固なものとなった。18世紀、スウェーデンの衰退後ロシアの勢力が増大し、プロイセンも影響力を増した。19世紀中この傾向はあまり変わらず、1908年、列強のバルト海における勢力均衡を保つための条約が結ばれた。第一次世界大戦後ドイツとロシアの影響力が退き、沿岸に多数の新興国が成立すると、バルト海中立化の構想が生まれたが、実現には至らなかった。第二次大戦後、東・南岸におけるソ連の影響力が増大する一方、非核武装地帯化の構想も生まれたが、ソ連の崩壊、バルト三国の独立を経て北部ヨーロッパの重要な海上交通路として機能している。

[本間晴樹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルト海」の意味・わかりやすい解説

バルト海
バルトかい
Baltic Sea

バルチック海ともいう。ドイツ,ポーランド,ロシア,バルト3国から東部ヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島に取巻かれた北大西洋の縁海の一つ。西はカテガト海峡,スカゲラク海峡を通じて北海,大西洋に連なり,湾の奥はボスニア湾とフィンランド湾に分れ,海中には大小多数の島がある。海岸線は出入りが多い。面積は約 42万 km2,深さは最深部で 210m,平均深度 55m。海底は粘土,細砂が多く,氷河堆積物の分布が広い。水温は夏 20℃ぐらい,冬2~6℃で湾奥地方は3~5ヵ月間結氷する。漁業はニシン,タラ,スマ,カレイが主。塩分が少く湾奥は淡水に近いので,淡水系の動植物がふえている。

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