日本大百科全書(ニッポニカ) 「キール」の意味・わかりやすい解説
キール(ドイツ)
きーる
Kiel
ドイツ北部、シュレスウィヒ・ホルシュタイン州の州都で港湾都市。人口23万2600(2000)。ハンブルクの北方約100キロメートル、バルト海沿岸でもっとも水深があり、景色のよい天然の良港キール湾の湾奥に位置する。最古の市街地は湾奥の西岸にあり、そのすぐ北にノルト・オストゼー運河(「北海バルト海運河」の意。キール運河ともいう)の閘門(こうもん)が並ぶ。工業は湾の東岸と運河の北に集中し、造船のほか機械、電子機器、光学、繊維、食品など多様である。中心駅には州内各地からの支線が集まり、港からはノルウェーのオスロに定期便の連絡がある。古い市街の中心には、後期ゴシック様式のニコライ教会が再建されている。また、世界経済研究所その他の文化施設が多い。毎年「キールの週」というヨットレースを含む祝祭が催され、外国からも多くの人々が訪れる。
[齋藤光格]
歴史
13世紀前半に市となり、商業を通じて発達、1284年にはハンザ同盟に加わった。以後デンマークの影響下にあって、この地の公の居地となり、1665年には大学も設置された。1773年デンマークに編入されたが、1864年のプロイセン・オーストリア対デンマークの戦争の結果、デンマークから離れ、66年プロイセンに統合された。戦略的位置と良好な港湾に着目されて海軍根拠地に選ばれ、1871年からはドイツ帝国軍港となり、バルト海鎮守府が置かれた。海軍に関連する造船・機械工業の拡大、95年のノルト・オストゼー運河の開通によって急速に発展した。1918年11月初め、第一次世界大戦での敗北を目前にして最後の出撃を企図した海軍指導部に対し、平和を求める水兵らがキールで蜂起(ほうき)し、兵士評議会を樹立してドイツ革命の口火を切ったことは名高い。以後もキールは海軍基地として機能し、第二次世界大戦中は連合軍の爆撃で大きな損害を被った。
[木村靖二]
キール(竜骨)
きーる
keel
船体の底部にあって、中心線に平行に船の全長にわたって通されている構造部材で、竜骨(りゅうこつ)ともいう。動物に例えれば背骨にあたり、もともとは木船の船体構造の中心として縦方向の力材の役を果たしていた。鋼船のキールには方形キールと平板キールがある。方形キールは、木船で用いられていた角材のキールの変形で、鋼船の初期には大形角形棒がよく使用された。しかし現在では、細長い鋼の厚板をスケートの刃のように船底に取り付けた方形キールが漁船などで使われているほかは、すべて平板キールに変わっている。これは船側や船底の外板となんら変わりはなく、木船のキールと同じ場所にあるので、キールという名称が残っているにすぎない。
[森田知治]