現代外国人名録2016 「クリストファーパッテン」の解説
クリストファー パッテン
彭 定康
Christopher Franeis Patten
- 職業・肩書
- 政治家 英国上院議員 元香港総督,元EU欧州委員会委員
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1944年5月12日
- 出生地
- ロンドン
- 別名
- 別名=Patten of Barnes, 別称=パッテン,クリス〈Patten,Chris〉
- 学歴
- オックスフォード大学ベリオール・カレッジ〔1966年〕卒
- 経歴
- 16歳で学力の優秀な者に与えられるオックフォード大学ベリオール・カレッジの奨学生に。卒業後、1966年保守党調査局に入り、’74年党史上最も若い同局長となる。’79年バース地区から英国下院選挙に立候補して初当選。この選挙で保守党綱領を書き、サッチャー党首の演説も書くなど幹部の信頼が厚かったが’80年代初めサッチャー首相の経済政策を批判し遠ざけられる。その後、能力を高く評価され’85年教育・科学担当国務相、’86年海外開発・外務担当国務相、’89年7月環境相へとスピード出世。当時、メージャー蔵相、ウォルドグレイブ外相担当国務相と並ぶ若手のホープで未来の首相候補といわれたが、人頭税問題で、ライバルのメージャーに水をあけられた。’90年11月よりランカスター公領相、保守党幹事長。’92年4月の総選挙では幹事長として保守党を勝利に導いたが自身は落選した。7月香港総督に就任、英領香港の最後の総督となる。大胆な民主化提案を発表するなど内外から注目を集める。’97年7月1日香港が中国に返還され英国に帰国。’98年中国を痛烈に批判する著書「東と西」を刊行。同年5月英国北アイルランド警察改革委員長。’99年9月〜2004年欧州委員会の対外関係担当委員。2003年よりオックスフォード大学名誉総長。2005年男爵(一代貴族)に叙され、同年から上院議員。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報