ホープ(読み)ほーぷ(英語表記)Bob Hope

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホープ」の意味・わかりやすい解説

ホープ(Bob Hope)
ほーぷ
Bob Hope
(1903―2003)

アメリカの喜劇俳優。イギリスのロンドンに生まれ、幼時に渡米。扮装(ふんそう)コンテストに入賞して芸人を志し、早口と軽妙な話術と辛辣(しんらつ)なジョークを売り物にラジオの人気者になり、映画に進出してユーモアを振りまいた。『アラスカ珍道中』(1945)などビングクロスビー、ドロシー・ラムーアDorothy Lamour(1914―96)と組んだ「珍道中」シリーズと、『腰抜け二挺拳銃(にちょうけんじゅう)』(1948)など日本題名に「腰抜け」がつく一連のコメディーでアメリカの国民的人気を集めた。ほかに『姫君と海賊』(1944)、『パリの休日』(1958)などに出演、テレビとラジオのショー番組の常連だった。1965年まで20年間、毎年のようにアカデミー賞授賞式の総合司会者をつとめたほか、映画界への奉仕に対してアカデミー特別賞を4回受けた。

[日野康一]

『ボブ・ホープ著、笠原佳雄訳『ボブ・ホープ世界を行く』(1964・弘文堂)』『ボブ・ホープ、ドゥエイン・ネトランド著、三好徹訳『ボブ・ホープのフェアウエー回想録』(1990・JICC出版局)』『ボブ・ホープ著、中俣真知子訳『ボブ・ホープ自伝――ギャグとジョークで綴るアメリカ50年史』(1992・徳間書店)』


ホープ(Alec Derwent Hope)
ほーぷ
Alec Derwent Hope
(1907―2000)

オーストラリアの詩人、評論家。ニュー・サウス・ウェールズ州クーマ町で牧師の家に生まれる。1928年シドニー大学卒業、同年オックスフォード大学に学ぶ。31年帰国後、教職を重ね、1951~68年オーストラリア国立大学英文科主任教授、1968年同大学名誉教授。処女詩集『さまよう島々』(1955)以降、『詩集』(1960)、『詩集1930~65年』(1966)、『応答の書』(1978)、『オルフェウス』(1991)、『詩選集』(1992)に至る十数巻を発表、文学評論や詩論に『1950~62年のオーストラリア文学概説』(1963)、『洞窟(どうくつ)と泉(詩に関するエッセイ)』(1965)、『牛盗人(アウトリュコス)の荷物』(1978)など約10巻がイギリス、アメリカからも刊行されている。叙情詩の伝統が強いこの国の詩界に、ヨーロッパの近代的知性を導入、確立した。諸種の文学賞を、オーストラリアはもちろんイギリス、アメリカでも受けた。

[平松幹夫・古宇田敦子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホープ」の意味・わかりやすい解説

ホープ
Hope, Bob

[生]1903.5.26. ロンドン近郊エルサム
[没]2003.7.27. カリフォルニア,トルーカレーク
イギリス生まれのアメリカの喜劇俳優。4歳のときに一家でアメリカに移住。 10歳でチャップリンの扮装コンテストに入賞,10代後半でエンターテイナーを志し,ボードビルで活躍した。 1927年ブロードウェーで The Sidewalks of New Yorkに初出演,1933年には Robertaでミュージカルデビューを果たすが,1930年代半ばはおもに数々の短編喜劇や,もちまえの軽妙なしゃべりを生かしたラジオ番組で活躍した。 1938年『百万弗大放送』で本格的に映画に進出し,1940年代は B.クロスビーとコンビを組んだ『珍道中』シリーズが大ヒット,単独主演した『腰抜け二挺拳銃』 (1948) も本人がうたった主題歌『ボタンとリボン』とともに大好評を博した。これらの活躍を通してアメリカ随一の人気コメディアンとなり,その功績が認められて特別賞や名誉賞など生涯に5回のアカデミー賞を受けた。また,軍隊慰問にも熱心で,第2次世界大戦朝鮮戦争ベトナム戦争,湾岸戦争時には各国を訪問,得意のショーで聴衆を沸かせた。

ホープ
H-II Orbiting Plane; HOPE

宇宙開発事業団 (→宇宙航空研究開発機構 ) による日本版スペースシャトル。機体の概念は,全長 18m,全幅 10m,全体重量 20tで荷物積載 3t以上。宇宙ステーションへの物質の補給や実験成果などの回収手段,軌道上での活動手段として,また,無人の宇宙有翼往還機という特性をいかし,さまざまな実験や観測の手段として計画された。開発計画の基本となる実験として,1994年2月軌道再突入実験 OREX,1996年2月極超音速飛行実験 HYFLEX,1996年7~8月の小型自動着陸実験 ALFLEXなどを実施,宇宙往還技術試験機 HOPE-Xの基本設計に入った。しかし,1997年6月日本政府は財政構造改革で宇宙開発への費用も抑制する方針を出し,これを受けて科学技術庁は「ホープ」の開発を中断,試験機 HOPE-Xの改修機を使用することになった。

ホープ
Hope, John

[生]1868.6.2. ジョージア,オーガスタ
[没]1936.2.20. アトランタ
アメリカの教育家。黒人のための高等普通教育の機会拡大を提唱し,当時の主流であった T.ブーカーらの技術教育の主張と対立した。 1894年ブラウン大学卒業,98年までロジャー・ウィリアム大学教師,引続きアトランタ・バプテスト・カレッジ (のちのモアハウス・カレッジ) 古典学教授,1906年同学長。 W.アレクサンダーと共同で国際協力委員会の設立に尽力,初代会長。 29年アトランタ大学学長に選任され,死去するまで在任。

ホープ
Hope, Alec Derwent

[生]1907.7.21. ニューサウスウェールズ,クーマ
[没]2000.7.13. キャンベラ
オーストラリアの詩人。シドニー,オックスフォード両大学で学ぶ。大学で英文学を講じるかたわら,『さまよえる島々』 The Wandering Islands (1955) でデビュー,既成の価値観を批判した作品を書く。 1968年オーストラリア国立大学名誉教授。ほかに『詩集』 Poems (60) ,文学論集『この国生れの仲間たち』 Native Companions (74) など。

ホープ
Hope, Anthony

[生]1863.2.9. ロンドン
[没]1933.7.8. サリー,ウォルトンオンザヒル
イギリスの小説家。本名 A. H. Hawkins。オックスフォード大学卒業。初め法曹界で活躍したが,架空のルリタニア王国を舞台とした『ゼンダ城の虜囚』 The Prisoner of Zenda (1894) で一躍有名になり,多くの冒険小説を書いた。

ホープ
Hope, Thomas

[生]1769. アムステルダム
[没]1831.2.3. ロンドン
イギリスの哲学者,作家,建築家,デザイナー,美術鑑識家。考古学的な装飾や家具復興の指導者。富裕な銀行家の息子。サリー県に購入した自宅を新古典主義的な摂政時代のスタイルで装飾。家具,建築に関する著書,小説,哲学書も書いた。主著『家庭家具と室内装飾』 (1807) 。

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