学力低下,基礎学力,学力テストなどと〈学力〉を使う語は多いが,その明確な定義は困難であり,ふつう,やや漠然と,文化遺産の計画的な学習によって獲得した能力を指す。欧米にはこの語にそのまま当てはまる語はない。英語ではability(能力)にふくまれ,またachievement(達成,業績)は第2次世界大戦後,とくに高校入試のアチーブメント・テストとして日本語にとけ込むようになったが,学力と同じではない。学力の内容は,計画的学習の中心的な場である学校教育のあり方によって,また教育の目的を規定する社会の価値基準によって変化する。しかもこの価値基準そのものが,その時代の社会階層,階級の要求を反映しており,学力水準の高低は同時代にあっても相対的である。
西洋では古代ギリシア,ローマから中世にかけ,自由七科は学問をする市民にとって学力の内容を成していたが,職業上の技術は奴隷に必要なものとされるにとどまった。中国や日本で,この自由七科にほぼ該当する教養は四書五経であり,これの習得が学力の向上にほかならなかった。このように学問と教育が一部の特権的階層に独占されていた時代には,学力の高さ自体が一種の呪術的性格を帯び,精神的権威の高さになると同時に政治的支配の道具となった。しかし一方,産業と交通の発展とともに,西洋でも日本でも実学的な学力とくに読み書き算の学力を要求するようになった。西欧の場合,ルネサンス以降ブルジョアジーの台頭により市民の教養として職業上の技術が重視され始め,フランス革命以降,科学と技術は学校で教授すべき重要な内容となった。日本でも江戸時代には町人の生活の向上にとってそろばん,算用などの能力の獲得が不可欠とされるようになった。これらは実学的学力への要求の反映であった。
しかし学力が多くの人の問題となるのは,近代学校成立以後である。つまり学力問題とは,学校教育の大衆化,義務教育の普及のなかでさまざまな社会階層間の学力要求の矛盾が顕在化したものなのである。顕著な例をあげておく。(1)自由民権運動高揚期をはじめ政治の転換期に,政府とその周辺から繰り返し〈知育偏重〉批判が行われており,これは,知育によって向上した民衆の学力が政府批判につながることを恐れて行われた批判である。(2)1905年から42年まで徴兵検査のさいに行われた壮丁学力検査の結果によれば,天皇や国策に関する質問への正答率は高いが,科学的思考力の発達は抑えられており,国家権力へ奉仕する学力が期待されていたことがわかる。(3)多くの父母が,子どもたちが学力低下におちいっているのではないかと不安を抱き,学校教育のあり方に疑問を投げかけたのは,敗戦直後の教育改革期である。それは,子どもたちが学級会などで活発に討議し,また社会のあり方について批判的発言を行うようになったが,読み書き算の学力が低下し,日本の歴史や地理の基礎的知識に欠けているのではないか,という疑問であった。戦後の新教育を推進した者は学力の内容の変化を強調し,学力とは与えられた知識の習得ではなく,積極的に自分の意見をもって発言し,自然や社会について探究する能力を高めることこそ学力向上にほかならぬとし,そのために授業は教師の教授を中心とするのではなく,生徒自身による調査や集団討議を重視した方法に転換させるべきだとした。父母が自分の受けた教育体験をもとに〈学力低下〉とみたのに対し,この事態は教育目的や授業方法の変化の結果だとされたのである。
以上のように,期待される学力は,時代や社会諸階層の要求あるいは教育目的によって異なるが,学力問題がとくに深刻な様相を呈するようになったのは,高校,大学への進学希望者が急増し,東大を頂点とした大学間格差が明瞭となり,学歴社会が重大な社会問題となってきた1970年代以降である。71年,教育研究所連盟は,教師が,授業についていけない子どもが半数以上存在するとみているとの調査結果を発表し,学力格差の広がりが固定化しており,以後〈落ちこぼれ〉が流行語になるほど低学力が問題となった。注目すべきは,この事実自体の原因のとらえ方や解決の方向について相対立する立場があることである。一つは,この原因を子どもの学習意欲の喪失,さらには素質や遺伝までさかのぼって子どもそのものに求める立場であり,ここから学習に向かない子どもを無理に学習させ,上級学校へ進学させることを疑問視し,その解決を〈進路,適性に応じた教育〉〈能力主義にもとづく教育〉に求めようとする。他の一つは,原因を教育課程,教育条件などに求め,これらの改善により,国民的教養の基礎としての学力をすべての子どもに習得させることを学校の責務とする立場である。こうした立場の相異,衝突には,教育政策をめぐる教育観や各階層間の要求のちがいが反映している。
しかし学力要求には複雑な問題がふくまれている。しばしば病理が指摘される〈受験学力〉の内容自体は,本来,国民大衆の生活向上にとって必要な学力とは矛盾するにもかかわらず,社会階層上昇への関門としての学力であり,この習得は明治以来の〈立身出世〉的な学力要求であり,能力主義の教育政策にも合致する。国民大衆の要求が,高学歴と高賃金を求める競争に向かうかぎり,現在の社会秩序と教育制度は変わらないのである。このように〈受験学力〉は,血縁,門地,財産に代わる生活手段とされるが,科学を創造する喜びや正義,不正義を見わける力,社会発展の歴史をとらえる力とはなっていない。この状況のなかで,70年代から教育界では学力と人格の分離,わかる力(認識能力)と生きる力の分離が問われ,学力の量だけでなく質が問われている。すでに1950年代から民間教育運動など研究者と教師の協力により,文部省の学習指導要領の示す学力が将来の学習や生活にとって不適切ときには不要であるとの批判から,すすんで教育内容を自主編成する努力が重ねられ,それは当然到達目標としての学力内容の変更を迫るものであった。
こうして〈学力とは何か〉は,ひろく国民的教養の質をめぐる価値尺度の矛盾と対立の社会史のなかで問われているのである。さらに,知識習得の結果に重点をおくか,問題解決能力,情報処理能力に重点をおくか,認識能力だけでなく情動や態度もふくめて学力を規定するか,などの論争が続くのは,学力規定の問題が教育課程,学習指導,教育評価など教育実践全体の分岐点でもあるからである。学力が一部特権階級のものでなく,全国民の問題になった今日,学力はさまざまな面からの検討が求められているのである。
→学力テスト →試験
執筆者:村越 邦男+山住 正己
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学力とは、学校教育によって系統的に伝達され、習得される知識・技能を中心として、子供のなかに形成される人間的能力のことをいう。すべての子供に人間的な人格発達を保証するような学力を形成していくことが、学校教育の課題である。
[吉本 均・二宮 皓]
学力の概念が教育学研究において意識的に問題とされたのは、第二次世界大戦後の1950年(昭和25)前後の、戦後新教育の是非をめぐる論争のなかであった。「読・書・算」の「基礎学力」の低下という事態について、経験主義に基づく新教育の推進者は、生活単元学習や問題解決学習を軸とした「問題解決能力」こそが新しい学力であり、学力は低下していないとした。他方、新教育の批判者は、知識の学習の軽視が「読・書・算」の学力を低下させたとし、知識や技能の取り立てての教育が必要であるとした。この論争は、「基礎学力」とは何かを問題としただけでなく、次代の担い手としての子供たちに何を伝えるべきかをも問題とした論争であった。
[吉本 均・二宮 皓]
次に学力が問題とされた時期は、1960年代前後の学習指導要領の改訂、全国一斉学力テストの実施という状況のなかであった。この時期の学力論議は、教科の研究・実践と結び付きつつ、学力の内部構造の究明に向かって展開された。当時の学力論の代表は、学力の中核に「態度」を据え、「生きた発展的な学力」を重視する名古屋大学教授広岡亮蔵(りょうぞう)(1908―95)の学力論と、学力をその計測可能性という点から限定的にとらえ、学校教育の固有の課題と任務を明確化しようとした東京大学教授勝田守一(しゅいち)(1908―69)の学力論である。
[吉本 均・二宮 皓]
こうした学力論争の流れのなかで、1970年代から80年代には、学力を「成果が計測可能なもの」としてとらえることから、点数や偏差値を重視した「受験学力」「偏差値学力」の考え方が生まれ、受験競争の過熱化、「落ちこぼれ」という学力格差、そこから派生する青少年の非行などさまざまな教育問題を引き起こす要因として取り上げられるようになり、従来の学力観に対する修正と見直しが行われた。
1996年(平成8)に出された第15期中央教育審議会第一次答申(「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」)において、「生きる力」の育成という教育課程の基本的目標から新たな学力観が提示されることとなった。この「生きる力」を支える新たな学力のとらえ方として、具体的には、(1)主体的思考力、問題発見・解決能力、(2)「豊かな人間性」に支えられた心の発達、(3)知識偏重の「偏差値的学力」から「総合的学力」へ、という3点を指摘することができる。また学力評価においても、これまでの「知識・理解」重視の評価から、「関心・意欲・態度」などの観点別評価を中心とする評価へと移行した。同時に、相対評価中心から、絶対評価を加味した相対評価へと評価システムも改革されてきた。しかし「生きる力」への学力観の転換に関して、再度、とりわけ大学生の基礎・基本学力の低下を危惧(きぐ)する声もあがっており、今後どのように新学力を育成するための条件整備が行われるかについては、課題が多く残されている。
[吉本 均・二宮 皓]
ちなみに国際教育到達度評価学会(IEA)の数学や理科の第3回国際学力調査(1994~95)によると、日本の小学校4年生の算数は参加国26か国のなかで、シンガポール、韓国に次いで世界第3位であり、中学生の数学でも同様に第3位であり、依然として高い学力水準を示している。また理科の成績は、小学校4年生で韓国に次いで世界第2位、中学生でシンガポール、チェコ共和国に次いで世界第3位であった。理科はこれまで世界第1位の地位を維持してきたが、第3回調査では順位を下げている。日本の算数・数学の学力の特性は、計算技能は優れているが、数学的思考力においては点数がかならずしも高くないという点にあると指摘される。偏差値重視の受験学力競争の弊害がここにも現れているのかもしれない。
IEAとは別に経済協力開発機構(OECD)加盟諸国においても、学力調査に関する関心が非常に高く、数学、理科および国語の学力調査が用意されており、日本も参加を果たしている。これらによりあらゆる側面から学力が調査されることが期待されている。また、イギリスやアメリカのみならず、日本でも学校の説明責任が求められ、個人の自由な学校選択を促進する政策が進むなかで、個別の学校の学力(成果)が測定され公表される時代がきており、学力論争に新たな視座を提供している。
[吉本 均・二宮 皓]
『勝田守一著『能力と発達と学習』(1964・国土社)』▽『広岡亮蔵著『教育学著作集1 学力論』(1968・明治図書出版)』▽『永野重史著『子どもの学力とは何か』(1997・岩波書店)』▽『苅谷剛彦著『変わるニッポンの大学――改革か迷走か』(1998・玉川大学出版部)』
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… 今日,教育評価の研究は,歴史的にみて,教育測定運動の時代,進歩主義教育協会Progressive Education Associationなどの手によって展開されたその批判の時代とならんで,第3の転換の時代にある。それは,例えば学力評価に関しては,伝統的にその方法の中心になってきた〈相対評価〉,すなわちある一定の集団の中の相対的な位置によって個人の学力を評価する方法から,〈到達度評価〉,つまり最低限すべての子どもを到達させる教育目標を具体的,実体的に示して,この基準に従って到達の程度を評価する方法への転換である。また,学期や単元の終了時に行う総括的な評価とならんで,〈形成的評価〉――評価を学習活動が終了した時点で行うのではなく,学習過程の最中に,次の教授=学習活動が適切で有効に行われるように,修正の必要な部分を即座に把握するために行う評価――が重視されるようになった。…
※「学力」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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