日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレコ・ローマン美術」の意味・わかりやすい解説
グレコ・ローマン美術
ぐれころーまんびじゅつ
紀元前2世紀後半からローマ帝政初期の美術様式。前146年ギリシアはローマ人の支配に屈したが、ローマ人は高度なギリシア美術に魅了された。以来おびただしい数のギリシアの美術品がローマに運ばれ、またパシテレス、クレオメネス、ステファノスらをはじめとする多くのギリシアの芸術家がローマに招かれ、同地で制作に従事した。この期の代表的作例の一つ『ローマの雄弁者』(ルーブル美術館)は上記アテネの彫刻家クレオメネスの作で、その表現にはギリシア古典期の様式をとどめている。しかしこの期の彫刻の大多数は、ギリシア時代の名作の模倣、ないしはギリシアの思想家の像や肖像彫刻をローマ人の趣味によって制作したものである。ギリシアの名作の模刻には、原作を原寸大に忠実に大理石に写したものもあるが、他方、寸法や細部の表現をかなり自由に変更したものもある。したがってこの期の作品には、時代を画する新しい様式はみられず、全般に創造性、芸術性に乏しい。このことは絵画においても同様で、ポンペイ出土のモザイク画『イッソスの戦い』をはじめ多くのフレスコ画も、ギリシア絵画の技法と伝統を受け継いでいる。しかしギリシア時代の名作がほとんど失われている現在、これらグレコ・ローマン時代の模作は、その原作の様式を知るうえできわめて貴重な遺品といえる。
[前田正明]