百科事典マイペディア の解説
グレート・ブリテン連合王国【グレートブリテンれんごうおうこく】
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… しかし,女王の治世で最大の事件は1707年のスコットランド併合であった。1603年にジェームズ6世がイングランド王位を兼ねて以来,イングランドといわゆる同君連合を形成していたスコットランドでは,名誉革命でジェームズ2世が追放されたことに不満が強く,89年にはウィリアム3世への反乱さえ起こったが,結局鎮圧され,女王の即位とともに両国議会が合同に同意,スコットランドは貴族院議席16,庶民院議席45を割り当てられ,1707年グレート・ブリテン連合王国(たんにグレート・ブリテンとよぶことが多い)が成立した。女王はまた,教会の十分の一税と王室収入の一部を〈アン女王の贈物〉として貧民救済にあてるなどして大衆の人気を博した。…
…ハノーファー家を推すイングランドに対し,スコットランドは別個の後継者の支持をほのめかし,イングランドはスコットランド人を外人とみなす法を作成して,これに対抗した。このような対立の解決策として両王国の連合案が画策され,1707年連合条約が成立して,スコットランド議会と枢密院は消滅し,これ以降のスコットランドはグレート・ブリテン連合王国の一部として扱われることとなった。 1714年,女王アンの死亡によりスチュアート朝が断絶するとジャコバイト運動が活発化し,翌年ジェームズ7世の亡命中の子ジェームズ・フランシス(老僣称王)がフランスの支持の下にスコットランドに進軍した(’15 The Fifteen)。…
※「グレート・ブリテン連合王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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