ゲルマニステン(読み)げるまにすてん(その他表記)Germanisten ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲルマニステン」の意味・わかりやすい解説

ゲルマニステン
げるまにすてん
Germanisten ドイツ語

ゲルマニストの複数形。通常、ゲルマン人の歴史、言語、風習文学、法、経済などを研究する学者を総称した呼び方。19世紀初めドイツに現れた歴史法学派の創始者サビニーは、法の歴史研究、民族精神を強調しつつ、その内実はローマ法研究に力を注いだので、同派のなかに、民族精神を強調するならばドイツの法を歴史的に研究すべきだという批判が生まれた。これらの批判者たちは独立して歴史法学派のロマニステンと対立しこれに批判攻撃を繰り返した。この派に属する著名な学者として、アイヒホルン、G・ベーゼラー(1809―88)、ギールケらをあげることができる。この論争はその後も大きな影響を与え、とくにナチスドイツ民法典をローマ法的なものとして攻撃し、そのかわりにゲルマン法的な法典の編纂(へんさん)を綱領に掲げたのは記憶に新しい。今日でもローマ法の研究者をロマニステンと称するのに対し、ゲルマン法の研究者をゲルマニステンとよんでいるが、近年の法学史研究の進展に伴って、区別する実益はなくなりつつある。

[佐藤篤士]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のゲルマニステンの言及

【法制史】より

…現行私法(普通法)の解釈学(ドグマーティク)と直結し,これに奉仕すべきものであった。 歴史法学派はローマ法学者(ロマニステン)とゲルマン法学者(ゲルマニステン)の2派からなる。ロマニステンは歴史法学の本来の担い手であり,法実証主義的な〈パンデクテン法学〉と近代的概念および体系を用いたドグマーティッシュなローマ法研究をもたらしたが,パンデクテン法学がほぼ完成に達した1880年代以降,ローマ法研究は法解釈学への奉仕から解放され始める。…

※「ゲルマニステン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む