ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドイツ民法典」の意味・わかりやすい解説
ドイツ民法典
ドイツみんぽうてん
Bürgerliches Gesetzbuch
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…法を国家権力の単なる命令としてとらえず,共同の意識に基礎づけようとするギールケらの立場や,国家法から独立している自由な法によって制定法の不備や欠缺(けんけつ)を埋めなければならないとする自由法運動(自由法論)がそれである。こうした動きに対応して,ドイツ民法典(1900)は,第1草案(1887)が慣習法を基本的に否認しようとしていたのに反し,慣習法について明文の規定をおかず,学説にこれを委ねた。そして通説は,慣習法を制定法と同等の法源と認めた。…
… 歴史法学は,近代自然法論(理性法論)による法の恣意的定立を強く批判し,法形成の淵源を〈民族の精神〉に求め,法の伝統的有機的発展を説いたことで知られているが,その表面的な言表はともあれ,その実質において方法的には自然法論の体系学を,内容的には普通法論の現代的慣用を継承しつつ,〈現代ローマ法体系〉,すなわち統一ドイツ市民法体系を構想しようとするものであり,資本主義的要求を掲げるドイツの市民階級の法学的世界観に合致するものであった。そしてこれは,パンデクテン法学およびその嫡子たるドイツ民法典(1900)を生み出すにいたったのである。学識法の伝統は,この点で,終始ドイツ近代法史を特徴づけるものとなっていたのである。…
…また18世紀末の啓蒙絶対主義国家の法的作品として,よくその時代の特徴を表しており,取引社会の進展や自然法思想の影響のもと,形式的自由・平等への方向が示されているが,なお既存の身分制的社会構造を維持し,社会的諸矛盾を後見的福祉国家の介入を通じて克服しようとしている。その後の市民的改革により廃止された規定も多いが,民法の領域では,1900年にドイツ民法典が施行されるまで通用していた。【石部 雅亮】。…
…18世紀におけるような法典による他の法源の排除や裁判官の法律への拘束は緩和されたが,法典が存在する場合,法律実証主義的な考え方が強化された。ドイツ,スイスでは地方法典の編纂(ザクセン民法典やチューリヒ私法典など)が行われたが,これらの経験をふまえ第二波の法典編纂の頂点において作られたのがドイツ民法典(1896成立,1900施行)とスイス民法典(1907成立,12施行)である。そこにはヨーロッパの伝統的法律学の技術の粋が結集されている。…
※「ドイツ民法典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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