ドイツの法学者。ベルリン大学に学び、ブレスラウ大学、ハイデルベルク大学教授を経てベルリン大学教授。歴史法学派に属するが、ベーゼラーG. Beseler(1809―1888)の影響のもと、ゲルマン法の精神の尊重を主張したゲルマニステンの代表者。彼の研究領域はきわめて広く、ドイツ私法、封建法、教会法、民法、商法、手形法、国法学、憲法に及び、主著として、『ドイツ団体法論』全4巻Das Deutsche Genossenschaftrecht(1868~1913)、『ドイツ私法論』全3巻Deutsche Privatrecht(1895~1917)を残している。彼の法律観の根底にあるものは人間団体を有機体ととらえる団体主義であり、この立場からロマニステンを批判した。なかでもドイツ民法第一草案(1887)をあまりにもロマニスト的、個人主義的であるとして批判したことは有名で、1900年施行のドイツ民法典は、部分的ではあるが、彼の主張を取り入れざるをえなかった。
[佐藤篤士]
ドイツの法学者。ブレスラウ(現,ポーランド領ブロツワフ),ハイデルベルクを経て,1887年以降,ベルリン大学教授。最大のゲルマニストとして〈パンデクテン法学の偉大な敵手〉であり,〈仲間的な団体の法〉の発見を通じて,近代の国家および国家制定法を万能視する考え方や,工業化された経済社会を背景に出現した社会的個人主義と闘った。主著としては,J.グリムの《法における詩》を引き継いだ初期作品《ドイツ法におけるユーモアHumor im deutschen Recht》,最高の著作《仲間的団体の法Genossenschaftsrecht》4巻(1868-1913)などがある。A.メンガーとともに,〈民法典論争〉の論陣を形成した《民法典草案とドイツ法Der Entwurf eines Bürgerlichen Gesetzbuch sund das deutsche Recht》(1888-89)も著名である。
執筆者:河上 倫逸
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…まず,市民革命ないし近代市民国家の成立の前後において,これに即応する制定法とくに法典の編纂の前提として,全体的な法的社会像を描く努力がなされた。フランスのJ.E.M.ポルタリス,ドイツのR.イェーリング,O.F.vonギールケ,オーストリアのA.メンガーなどがその例である。 ついで資本主義の高度な発展により,法と社会とのギャップが顕在化したとき,自由法論を経由して,法社会学が,法社会学という名の下に自覚的な発展を始めた。…
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