ゲルマン法(読み)げるまんほう(英語表記)germanisches Recht ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲルマン法」の意味・わかりやすい解説

ゲルマン法
げるまんほう
germanisches Recht ドイツ語

一般にゲルマン人固有法の意味で用いられる。ゲルマン法という概念がローマ法との対比で意識され始めたのはすでに17世紀にさかのぼる。しかしそれが顕著になってきたのは、フランスの七月革命の影響で自由主義的ドイツ統一運動が高揚し、1830年代末からゲルマニステンの一大運動が盛り上がったときであった。ゲルマニステンの機関誌『ドイツ法およびドイツ法学雑誌』の創刊(1839)、ゲルマニステン会議の開催(1846、47)があり、この会議でパンデクテン法学に対抗して、ドイツ普通法gemeines Rechtはローマ的要素ゲルマン的要素が混合したものであるとされた。これをきっかけとしてゲルマン的要素の研究が進められ、やがて時代を超越した概念としてのゲルマン法という形でドイツにおけるゲルマン的要素の一面的強調、ローマ的要素を排除すべきであるとの考え方が生まれ、これがナチス法学に受け継がれた。したがってゲルマン法という概念はそれほど明確なものではなく、(1)古ゲルマン時代の法、(2)ゲルマン人に共通の法、(3)ドイツに固有の法、というように種々の用いられ方をしており、はたしてこれがヨーロッパ法を明らかにするのに有効な概念であるのかどうかは疑わしい。有効であるとすれば、古ゲルマン時代の法の場合であろう。

 民族大移動のころのゲルマン各部族はそれぞれ慣習法によって生活していた。そのなかで現在のポーランド西方に住んでいた西ゲルマン人は、その移動によってヨーロッパ各地に彼らの慣習法をもたらした。アングロ・サクソンイギリスに渡り、ヨーロッパ大陸ではいくつかの部族がローマ法文化とキリスト教の影響を受けて法典をつくったり、あるいは自分たちの慣習法を採録した法典や法書をつくった。これらの部族の法は中世盛期になると行われなくなったが、各地方の慣習法として定着した。ドイツでは、中世の中ごろにローマ法(ユスティニアヌスの法)が継受され、これが教会法と一体となって(ローマ・カノン法)、ドイツ普通法となり、慣習法の補充的役割を与えられるようになった。しかし慣習法は、依然として農村地域)において維持され、ローマ・カノン法と補い合って、あるいは対立して中世法を形成していた。19世紀のゲルマニステンの主張は、このような農村(地域)法をゲルマン法としてとらえ、ドイツ民法典にこれらの法の仕組みを導入するよう要求したものである。その一つの例としてゲベーレをあげることができる。

[佐藤篤士]

『平野義太郎著『民法におけるローマ思想とゲルマン思想』(1924・有斐閣)』『世良晁志郎著『ゲルマン法の概念について』(『歴史学方法論の諸問題』所収・1973・木鐸社)』『コーイング著、上山安敏監訳『ヨーロッパ法文化の流れ』(1983・ミネルヴァ書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲルマン法」の意味・わかりやすい解説

ゲルマン法
ゲルマンほう
Germanic law

ゲルマン民族の固有法。一口にゲルマン民族の固有法といっても,その定住した地域,前1世紀頃のゲルマニアの時代から中世末までの時代の長さからも察せられるように,一つの国家の統一的法体系ではない。ゲルマンの大移動直後に,ローマ文化に触発されて立法された中世初期のゲルマン諸部族法典,中世盛期のドイツの法書ワイストゥーム (判告集,荘園法記録) ,フランス中世の慣習法記録などを有力な法源とする。またイギリス法史上の諸法源や北ヨーロッパ中世の法書,法典も重要である。ゲルマン法はムントやゲベーレに典型的にみられるような超個人主義的な団体主義を基調として,慣習法の優位,法と道徳,法と権利,私法と公法の融合・未分化,象徴主義,方式主義を特色とする。また,一般的に,ゲルマン法は,法曹法,都会法,商人法として特徴づけられるローマ法と対照されて,民衆法,農村法,農民法と称される。

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