ゲルマン人の古法を指すが,この概念は伝統的なドイツ法史学において特有の用いられ方をしてきた。そこでは,ドイツ法の根源はゲルマン法にあり,ドイツ法史は中世の末にいたるまでゲルマン的特徴を帯びており,〈ローマ法の継受〉によって初めてこの点に転換が生じたという基本的前提がとられている。こうした考え方が生まれたのは,16世紀のことで,15世紀に写本が発見,刊行されたタキトゥスの《ゲルマニア》を主たる材料としたゲルマン人像の形成,1530年と57年におけるゲルマン諸部族法典の最初の活字本の公刊などがなされた。それが19世紀に入り,歴史法学派の民族精神論と結びついてゲルマニストの根本見解となったのである。一般自由人(自由平等な小農民)を中核とする共和政的国制をはじめ,ジッペ,従士制度,マルク共同体,ムント,ゲウェーレ,平和喪失,フェーデ等がゲルマン法の主軸をなす制度であり,これらはその後変化しながら中世にも生き続けたとされ,ゲルマン民族の法たるゲルマン法は,ローマ法と対極的な性格を示し,法曹法であるローマ法に対し民衆法であり,脱倫理的,個人主義的なローマ法に対し,倫理的,社会的(団体的)であると説かれた。
このようなゲルマン法に関する伝統的イメージは,現在では根本的な転換を迫られている。それは何よりも,ゲルマン古法を復元するために用いられた手段(史料)に問題が出てきたからである。まず古典古代の著作家(とりわけカエサルとタキトゥス)の報告については,これらのテキストは,近代ドイツにおけるゲルマン人理解をもとにして解釈するのではなく,ローマ人である著者の意図や観念に即して読むべきものとされ,主要な典拠たるタキトゥスの叙述についても従来の解釈に種々の異論が提起された。つぎに考古学,定住史学の目覚ましい発達によって,定住形態,耕地形態などに関する定説が覆されたのをはじめ,厳密な客観的証拠の発掘が進んでいる。最後に,ゲルマン的法制度を再構成するためにきわめて重要な役割を与えられた後代の諸法源について再検討が加えられた。中世初期の諸部族法典の相互比較による逆推という方法がもっともよく利用されたが,とりわけローマ卑俗法の諸部族法典への影響に関する近時の研究により,これらの部族法典がゲルマン古法を純粋に伝えている範囲は意外に小さいことが判明した。中世盛期の北欧諸法も,外来の影響をほとんど受けずに始原的法状態を維持するものとして逆推に利用されたが,その多くの部分は中世盛期の発展段階に属することが明らかにされている。中世後期のワイストゥーム(判告集)にいたっては,これをゲルマン古法の解明のために動員することは以前にもまして躊躇されるようになっている。
このようにして伝統的ゲルマン法像は大幅に史料的根拠を失ったが,それと同時に,そこにみられる思考モデルが,19世紀という時代に拘束されたものである点も厳しい批判にさらされた。たとえば,ゲルマン人の共和政的国制像の中には,同世紀の自由主義的・市民的憲法思想の投影がみてとれるし,所有権概念その他についてのゲルマン法の社会法(団体法)的特質なるものは,個人主義的な私法体系の社会法的改編という法政策的主張を正当化するために持ち出されたのである。
ゲルマン法はゲルマン古代の原始的な社会の法として,その本来の姿において把握されねばならない。同時代の史料,とりわけタキトゥスの解釈が基本的な作業となるが,それに,ゲルマン古代に関する考古学,言語学,人類学等の研究成果を組み込んでいくことが必要である。
→ゲルマン部族法
執筆者:佐々木 有司
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一般にゲルマン人の固有法の意味で用いられる。ゲルマン法という概念がローマ法との対比で意識され始めたのはすでに17世紀にさかのぼる。しかしそれが顕著になってきたのは、フランスの七月革命の影響で自由主義的ドイツ統一運動が高揚し、1830年代末からゲルマニステンの一大運動が盛り上がったときであった。ゲルマニステンの機関誌『ドイツ法およびドイツ法学雑誌』の創刊(1839)、ゲルマニステン会議の開催(1846、47)があり、この会議でパンデクテン法学に対抗して、ドイツ普通法gemeines Rechtはローマ的要素とゲルマン的要素が混合したものであるとされた。これをきっかけとしてゲルマン的要素の研究が進められ、やがて時代を超越した概念としてのゲルマン法という形でドイツにおけるゲルマン的要素の一面的強調、ローマ的要素を排除すべきであるとの考え方が生まれ、これがナチス法学に受け継がれた。したがってゲルマン法という概念はそれほど明確なものではなく、(1)古ゲルマン時代の法、(2)ゲルマン人に共通の法、(3)ドイツに固有の法、というように種々の用いられ方をしており、はたしてこれがヨーロッパ法を明らかにするのに有効な概念であるのかどうかは疑わしい。有効であるとすれば、古ゲルマン時代の法の場合であろう。
民族大移動のころのゲルマン各部族はそれぞれ慣習法によって生活していた。そのなかで現在のポーランド西方に住んでいた西ゲルマン人は、その移動によってヨーロッパ各地に彼らの慣習法をもたらした。アングロ・サクソンはイギリスに渡り、ヨーロッパ大陸ではいくつかの部族がローマ法文化とキリスト教の影響を受けて法典をつくったり、あるいは自分たちの慣習法を採録した法典や法書をつくった。これらの部族の法は中世盛期になると行われなくなったが、各地方の慣習法として定着した。ドイツでは、中世の中ごろにローマ法(ユスティニアヌスの法)が継受され、これが教会法と一体となって(ローマ・カノン法)、ドイツ普通法となり、慣習法の補充的役割を与えられるようになった。しかし慣習法は、依然として農村(地域)において維持され、ローマ・カノン法と補い合って、あるいは対立して中世法を形成していた。19世紀のゲルマニステンの主張は、このような農村(地域)法をゲルマン法としてとらえ、ドイツ民法典にこれらの法の仕組みを導入するよう要求したものである。その一つの例としてゲベーレをあげることができる。
[佐藤篤士]
『平野義太郎著『民法におけるローマ思想とゲルマン思想』(1924・有斐閣)』▽『世良晁志郎著『ゲルマン法の概念について』(『歴史学方法論の諸問題』所収・1973・木鐸社)』▽『コーイング著、上山安敏監訳『ヨーロッパ法文化の流れ』(1983・ミネルヴァ書房)』
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ゲルマン民族の法。ドイツ,イギリスの法学,歴史学上の概念。フランク期のゲルマン諸部族法のほか,封建社会期におけるドイツの法書(『ザクセンシュピーゲル』)や判告集(ヴァイステューマー),フランス各地の慣習法書などをも含め,ローマ法とともに近代西欧諸国法の二大源流とされる。しかし封建社会期の農村法,都市法や近代市民法が地縁的経済組織体(農村・都市共同体,近代国家)に立脚して領域的強制力を有するのに対し,ゲルマン部族法は牧畜経済社会の人的結合団体の法として領域性,物理的強制権を伴わず,両者は本来的に異質であるから,厳密にはゲルマン部族法のみに限定すべきである。北・東・西ゲルマン法に分かれるが,とりわけ西ゲルマン法(フランクのサリカ法その他)が重要。
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…このほか江戸時代には楠木正成をはじめ南朝にかかわる偽文書も流布しているが,こうした文書を含めて,偽文書には偽作当時の庶民の慣習・伝説,あるいは時代の思潮が,史実の残像と交錯して表現されており,それを正確に弁別するならば,偽文書は歴史学と民俗学とを結ぶ懸橋の役割を持つ重要な史料となりうるのである。【網野 善彦】
[ヨーロッパ]
中世西ヨーロッパでは,本来ゲルマン法の支配を特徴とするアルプス以北の社会と,古典古代以来,ローマ法を継受した地中海地域のそれとは顕著な対照を示す。ローマ法の地域ではすでに12世紀,イタリアを中心に南フランスでも,皇帝や教皇の允可(いんか)を得た公証人が一定の書式に則って公正証書を作成し,すべての契約にあたって,いっさいの法律上の権利関係の変更が文書に記録され,公証人の署名と花押monogramとによって認証されることとなった。…
…【西村 重雄】
[中・近世]
4世紀後半からゲルマン人のローマ帝国内への移動・侵入が始まり,ローマ帝国はしだいに崩壊した。ゲルマン法における初期の裁判のあり方の概要は以下のようであったと考えられる。 裁判は,一般には,仲裁から進化したものとされている。…
…【福島 小夜子】
【ヨーロッパ】
相続法は,土地制度および家族制度のあり方によって国ごとにその内容,性格を異にしている。歴史的沿革を見るならば,とくにヨーロッパ大陸諸国においてはローマ法とゲルマン法の二つの淵源に由来する諸特徴が織り混ぜられて今日の相続法を形成していることが認められる。
[ローマ法]
ローマ法上の相続は,本質的に遺言相続である。…
※「ゲルマン法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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