日本歴史地名大系 「コヱトイ」の解説 コヱトイこえとい 北海道:根室支庁標津町コヱトイアイヌ語に由来する地名。天保郷帳には「子モロ持場」のうち「コヱトイ」とみえ、当地一帯は近代に入り茶志骨(ちやしこつ)村に包含された。仮名表記は「コヱトイ」(「協和私役」「観国録」、玉虫「入北記」、「廻浦日記」など)のほか「コイトイ」(「蝦夷人物誌」、板本「東蝦夷日誌」、「行程記」)、「コヱトヱ」(「蝦夷日誌」一編)がある。板本「東蝦夷日誌」は「名義、風波ある時、此処波越るの義」とする。当地は「行程記」に「すべて、これまで沼岸なれ共、こゝより外へいづるなり」とあるように、野付(のつけ)半島の付根に位置する。 コヱトイこえとい 北海道:留萌支庁幌延町コヱトイアイヌ語に由来する地名で、テシホ川河口部にある。「コヱトイ」とあるほか(「蝦夷日誌」二編)、「コヱトヱ」ともみえ、「西蝦夷地名考」に「コヱとは浪の事、トヱとは切るといふ事也(中略)海時化の節、浪強くして土砂欠落る所也。故に名となす」と説かれている。「西蝦夷地日記」に「漁小家 蔵壱軒」とあり(文化四年九月六日条)、天塩川川筋図(文化四年、近藤重蔵蝦夷地関係史料)ではブエコトイに夷人の鮭取小屋一軒があると記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報