改訂新版 世界大百科事典 「コンリング」の意味・わかりやすい解説
コンリング
Hermann Conring
生没年:1606-81
ドイツの学者。哲学,法政治学,経済学から医学まで幅広い業績を残した偉大な博学者といえる。東フリースラントのノルデンにルター派牧師の子として生まれ,ヘルムシュテット,ライデン両大学に学び,1632年以降ヘルムシュテット大学教授として自然哲学,ついで医学を講じ,のちには政治学をも担当。その間,内外の王侯の侍医や顧問官をつとめた。業績は膨大で多方面にわたる。《ゲルマン法の起源について》(1643)により,ローマ法の継受に関するいわゆる〈ロタール伝説〉を打破し,ゲルマン法(ドイツ固有法)にローマ法と同等の地位を付与することによって,ドイツ法史の研究に端緒を開いた。国法,政治学の領域では,アルトゥジウスの人民主権論を批判し,君主主権(ただし新教徒の立場から皇帝ではなく領邦君主の主権)を主張。医学ではハーベーの血液循環説を支持した。通商の制限と独占に反対し温和な重商主義的見解をとる経済学,および租税負担の平等化を理論的に基礎づけた財政学の業績があり,また統計学の先駆者でもあった。
執筆者:佐々木 有司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報