サンクトペテルブルグボリショイドラマ劇場(読み)サンクトペテルブルグボリショイドラマげきじょう(その他表記)Sankt-Peterburgskii Bol'shoi dramaticheskii teatr

改訂新版 世界大百科事典 の解説

サンクト・ペテルブルグ・ボリショイ・ドラマ劇場 (サンクトペテルブルグボリショイドラマげきじょう)
Sankt-Peterburgskii Bol'shoi dramaticheskii teatr

ロシアの劇場。正式名称は〈ゴーリキー記念国立レニングラード赤軍勲章アカデミー・ボリショイ・ドラマ劇場〉(通称レニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場)であったが,1991年改称。一般にはBDT(ベーデーテー)という略称で親しまれている。サンクト・ペテルブルグネフスキー通りのほぼ中間を横切るフォンタンカ運河に面して立っている劇場の建物そのものは,1879年に建てられ,はじめはアプラクシン劇場,その後スボーリン劇場と呼ばれていた。1919年2月15日,ゴーリキー,アンドレーエワMariya Fyodorovna Andreeva(1868-1953),ブロークらの発意により,シラーの《ドン・カルロス》を音楽院ホールでこけら落しに上演して発足し(1920年から現在の建物で公演),シェークスピア,モリエール,シラー,ユゴー,ゴルドーニを相次いで上演,20年代初頭にはドイツ表現主義の作品を積極的に上演して注目を集めた。やがて《エゴール・ブルイチョフとその他の人びと》(1932),《ドスチガーエフとその他の人びと》(1933),《別荘の人びと》(1939),《敵》(1948)などゴーリキーの一連の作品を上演して,独自の〈顔〉をつくったが,ほかにはコージンツェフGrigorii Mikhailovich Kozintsev(1905-73)演出の《リア王》(1941)などを除けば話題作にはとぼしかった。56年にトフストノーゴフが主任演出家に就任して以来,生まれ変わり,ソ連有数の劇団になった。70年5月に前衛的な実験用の〈小舞台〉が作られ,古今東西の多様な演目と強力な俳優陣を誇っている。83年に来日公演した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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