精選版 日本国語大辞典 「劇団」の意味・読み・例文・類語
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演劇の創造を目的として組織された団体。日本では座または一座とほぼ同義で、併用されることが多い。
[大島 勉]
劇団ということばは明治末に始まった新劇運動のなかから生まれたものであり、一般に用いられるようになったのは大正以降である。これは英語のカンパニーcompanyなどに対応するものとして、当初は座に比べてかなり近代的なニュアンスが強かった。しかし今日にみるように、新劇団(現代劇団)の多くが座の呼称を用い、また逆に歌舞伎(かぶき)や新派などの団体が劇団を呼称するなど、両者は混用、併用されていて、実質的には同一といって差し支えない。これは劇団の成立、内容についてもいえることで、契約制に基づく欧米型の劇団組織に対して、日本型の家族主義的体質を温存する現代劇団も少なくないからである。いずれにせよ劇団(カンパニー)とは、一定の演劇理念をもって持続的な上演活動に必要な各部門を担当する専門人を備えた芸術団体と定義することができよう。したがって整備された劇団は、演技部門(俳優)を主体に文芸演出、美術(装置・衣装など)、照明、効果(音響)、経営制作の各部門から成り立っているのが普通である。映画放送部や付属の俳優養成所を併置しているところも多い。
[大島 勉]
従来、日本の劇団には商業劇団(大劇場)と非(反)商業劇団(新劇団)の対立ないし区分の図式が支配的であった。これは、新劇運動が出発時から反商業演劇をスローガンの一つにしていたために久しく喧伝(けんでん)された。しかし、とくに第二次世界大戦後に急増した新劇人の大劇場進出、またテレビなどのマスコミ出演の増大につれて、この対立区分はほとんど有名無実と化している。また専門劇団(職業劇団)とアマチュア劇団(学生劇団・自立劇団)の区別も、1960年代後半以後の小劇場運動などによる演劇状況の多様化によって、むしろ相互の交流に力点が置かれるようになった。とくに大学劇団や半アマチュア劇団からプロ劇団への進出が著しく、若手・中堅劇団のなかで特異な位置を占めている。劇団名もさまざまで、まさに百花繚乱(りょうらん)の趣(おもむき)がある。
[大島 勉]
劇団の歴史は演劇の歴史とともに古く、その萌芽(ほうが)はすでに紀元前にみられる。歴史に記録された最古のものは、古代エジプトの宮廷においてオシリスの秘儀に携わった神官の一団である。彼らは神話に基づいて死と復活のドラマを演じた。また古代中国でも、神と人を媒介する巫覡(ふげき)に由来する職能的な俳優集団が存在したことが記録されている。とくに古代ギリシアでは、紀元前3世紀ごろには劇作家、俳優、合唱団(コロス)、楽手などからなる「ディオニソス芸術家組合」が組織されて、遠くオリエント世界にまで巡演し、国家の文化使節的役割を果たした。ローマ時代には、宮廷奴隷による専門的な俳優集団があり、貴族たちの寵愛(ちょうあい)を集めた。
[大島 勉]
ヨーロッパで恒久的な職業劇団が生まれたのは、16世紀中ごろから17世紀にかけてイタリアで流行したコメディア・デラルテ(仮面即興喜劇)が最初とされる。彼らはイタリア喜劇団の名でヨーロッパ各地を巡演し、各国の職業的ないし半職業的な劇団を生む素地をつくった。エリザベス朝のイギリス、黄金世紀のスペインなどで常設劇場に拠(よ)る専門劇団が誕生し、シェークスピア、ローぺ・デ・ベガらの劇作家がここから生まれた。近世に入ると、資本主義の発達とともに各国に興行師の支配するスター中心の商業劇場が輩出したが、19世紀後半にドイツのゲオルク・マイニンゲン公が組織したマイニンゲン公劇団がアンサンブルを重視した写実的な舞台を創造し、各国の演劇に多大の影響を与えた。やがてこれに刺激されて反商業劇場をスローガンとする近代劇運動(自由劇場運動)がおこり、同志的結合による芸術創造体としての劇団が各国に次々と誕生して、劇団の主導権は作家と演出家の手に移った。チェーホフとスタニスラフスキーを擁したモスクワ芸術座はその好例である。
[大島 勉]
日本では古くは万葉の時代から、歌舞して色を売る遊行女婦(うかれめ/あそびめ)の一群があり、これは近代初頭の歌舞伎誕生の淵源(えんげん)として日本演劇史上、欠かすことはできない。しかし本格的な芸人集団としては、平安末期ごろから各地の宮座に所属する田楽(でんがく)法師の座が文献にみえる最初の例とされる。鎌倉期に入ると中国の散楽の流れを引く猿楽(さるがく)の座が生まれ、やがて能狂言に大成されて、座頭(ざがしら)を頂点とする階層的な劇団組織の基礎が固まった。この日本芸能独自の構造は、その後、人形浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎に引き継がれ、新劇団をはじめとする現代劇団にも多少とも影を落としている。
日本で一定の演劇理念のもとに近代的な劇団組織が生まれたのは、大正末に小山内薫(おさないかおる)らによって設立された築地小劇場が最初である。この劇団は活動拠点として近代的劇場機構を備えた座席500余の劇場をもっていた。だが今日に至るまで、ごく少数の劇団を除いて、日本の現代劇団は自らの劇場をもたず、その大部分は貸し劇場・ホールでの公演に甘んじているのが現状である。第二次世界大戦後半世紀以上を超えてなお逆戻りの現象を呈しているといえる。これに加えて、国家や公的機関からの財政的援助が欧米諸国に比べて格段に乏しいため、ショー・ビジネス化した、またマスコミ出演を優先する一部の劇団を例外として、ほとんどの劇団はなかば慢性化した経営不安を脱却できず、その持続は劇団員の演劇的情熱によって支えられているといっても過言ではない。
[大島 勉]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…それは,固定した理論や方法論を持つ学校方式の修業の場とは異なり,新しい理念と技術を参加者全員で模索しながら流動的に訓練を重ねていくことを特徴としている。当初は劇団など上演グループの中で組織され,技術の研修とグループ独自の上演活動の追求を目的とした小規模な内輪の仕事場であったが,しだいにアメリカの〈オープン・シアター〉やポーランドのJ.グロトフスキの演劇実験室などが評判を呼び,劇団組織の枠を越えるものも増え,ワークショップによる上演がクローズアップされるケースも多くなった。そこでは,演者,演出者,また作者がいっしょに研修を重ねながら共同作業としての舞台づくりが行われるが,こうした実験の成果としての舞台はさまざまの意味で前衛的なものであり,作品と演出と演技ほかが有機的に働く生きた総体としての迫力を持ち,感銘を与えることが少なくなかった。…
※「劇団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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