サンチョ(読み)さんちょ(英語表記)Sancho Ⅲ, Sancho Garcés

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンチョ」の意味・わかりやすい解説

サンチョ(3世)
さんちょ
Sancho Ⅲ, Sancho Garcés
(992?―1035)

ナバラ王(在位1000~35)。「大王el Mayor」と通称される。後(こう)ウマイヤ朝滅亡(1031)によってアル・アンダルス(イスラム教スペイン)が内部分裂に陥り、他の周辺諸国も低迷するなかで、彼は積極的な干渉政策を進めた。その結果、治世の後半にはその威信はキリスト教スペインのほぼ全域に及び、死の前年には伝統的に帝国を自称するレオンを征服して自ら皇帝を称した。キリスト教スペインの覇者としてのその重みは、カタルーニャの有名なリポールの修道院長オリーバから「イベリア王サンチョ」とよばれたことにもうかがえる。

 しかし、サンチョ3世はレコンキスタ(国土回復戦争)にはほとんど手を染めず、それまでごく希薄であったキリスト教スペイン諸国とピレネー以北との交流復興にもっぱら力を注いだ。おりから進行中のクリュニー修道院改革運動はこのような王の意向によくこたえ、その結果、711年のイスラム教徒の侵攻以来ほとんどとだえていた西ヨーロッパとの交流が初めて本格的に修復された。彼の領土生前に4分割され、そこから後のイベリア史の主役を演じるカスティーリャアラゴンの2王国が誕生した。だが、これによって肝心のナバラは南進を阻まれて、その後の発展の道を失った。

[小林一宏]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のサンチョの言及

【サンチョ・ガルセス[3世]】より

…在位1000‐35年。サンチョ大王と通称される。クリュニー改革運動(クリュニー修道院)を受け入れ,サンチアゴ巡礼(サンチアゴ・デ・コンポステラ)を保護するなどそれまで希薄だったピレネー以北との交流を密にする一方,イベリア内ではピレネー中部からカスティリャを経てレオンまでをその支配下に置き,同時代人から〈イベリア王〉と呼ばれるほどの威勢を誇った。…

※「サンチョ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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