クリュニー修道院改革運動(読み)くりゅにーしゅうどういんかいかくうんどう(その他表記)Cluniac Reform Movement

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

クリュニー修道院改革運動
くりゅにーしゅうどういんかいかくうんどう
Cluniac Reform Movement

クリュニー修道院およびその影響下に行われた10、11世紀の修道院改革。910年アキテーヌ公ギョーム1世は自領クリュニーCluny荘園(しょうえん)内に修道院を建設し、初代院長にベルノー(在位910~926)を迎えた。ベルノーの改革はもっぱら「聖ベネディクトゥス会則」の無条件実践にあった。第2代院長オドー(在位927~942)は詩篇誦読(しへんしょうどく)、賛美歌、聖母マリア崇拝、十字架崇敬など聖務日課の充実と典礼の荘厳化を重視することによって、政治的、精神的危機のなかで救霊意識を強めていた貴族の関心を集め、彼らによる土地寄進や特権付与によってクリュニー修道院の影響力は11世紀には急速に広まる。

 第5代院長オディロー(在位994~1049)の時代の1016年から27年までの間に、ローマ教皇が与えた三つの特許状によりクリュニー修道院は教皇直属の修道会としての組織を確立し、また分院体制による内部の中央集権化も完成した。とくに王権の弱体であった南フランスでは、所領内に城塞(じょうさい)や裁判所をも備え、本院院長はフランス国王に擬せられるほどの権威勢力をもち、「神の平和」運動や巡礼運動を支援し、アジール権(避難者保護権)によって農民の保護にも尽力した。12世紀初頭、所属修道院は約1500を数えたが、クリュニーによって改革されながらこの修道会に属さなかった修道院も多かった。全般に貴族的性格が強く、グレゴリウス改革との関係も薄いといわれているが、中世最大の修道会としてその意義は大きい。

[今野國雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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