改訂新版 世界大百科事典 「サービトブンクッラ」の意味・わかりやすい解説
サービト・ブン・クッラ
Thābit b.Qurra
生没年:836-901
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…ペルシアやシリアやインドから優れた学者がこのアッバース朝の首都に雲集し,多くの第一級の科学文献がギリシア語やシリア語からアラビア訳され,アラビア科学は華やかに咲きいでた。ギリシア科学の精華の大部分を翻訳したフナイン・ブン・イスハークやサービト・ブン・クッラをはじめ,アラビア錬金術の祖であるジャービル・ブン・ハイヤーンやアラビア代数学の出発点をつくったフワーリズミー,正確な観測によりルネサンスにいたるまで西欧天文学にも大きな影響をもったバッターニー,さらにはイスラム圏のみならず,中世全体を通じて最大の臨床医家だったラージーなどが,この期に属する代表的な学者である。 第2の〈全イスラム期〉では,かつてアッバース家によって滅ぼされたウマイヤ朝の王族がスペインに逃れて建てた後ウマイヤ朝においてしだいに文化が興隆し,その勢いは東イスラム圏と覇を競うほどになり,さらにエジプトではファーティマ朝が栄え,ここでも大いに科学文化が振興された。…
…なお《ピカトリクス》は12世紀にアラビアで著されたと思われる書物であるが,スペイン語訳やラテン語訳が回読されてヨーロッパでも影響が大きかった。
[伝統]
ヨーロッパでは11世紀にプセロスが《コルプス・ヘルメティクム》に言及しているので,ひそかに伝えられていたことがわかるが,イスラム圏では,ヘルメス・トリスメギストスを精神的父祖としていたシバ(サバ)人で,初期のアラビア科学者として有名なサービト・ブン・クッラがシリア語で《ヘルメスの教え》を書いてみずからアラビア語に訳した。同様にヘルメスを預言者の一人として扱っていたマニ教を受け継いだイスラム教シーア派はヘルメスをイドリース(旧約聖書のエノク)と同一視し,ズー・アンヌーンによってイスラム神秘主義(スーフィズム)にも影響を与えた。…
…これには別の多くの版や注解が続き,その結果本文書の文化史上における意義は絶大なものとなった。他方,イスラム圏への伝播はシリアを通じてなされ,サービト・ブン・クッラはシリア語で《ヘルメスの教え》を書き,さらにアラビア語訳した。ほかにイスラム神秘主義(スーフィズム)への波及もあったと言われる。…
※「サービトブンクッラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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