改訂新版 世界大百科事典 「フナインブンイスハーク」の意味・わかりやすい解説
フナイン・ブン・イスハーク
Ḥunayn b.Isḥāq
生没年:808-873
ネストリウス派の医者,翻訳者。ラテン名ヨハンニティウスJohannitius。ユーフラテス河畔のヒーラに薬剤師の息子として生まれ,バグダードでイブン・マーサワイフに医学を学んだ後,アレクサンドリアで発展した文献批判学の方法を身につけ,次いでバスラでアラビア言語学を修めた。バグダードに帰ってジブラーイール・ブン・ブフティシューのためにガレノスの翻訳に従事し大いに認められ,アッバース朝カリフ,マームーンに紹介された。その後彼は息子や甥の協力を得て巨大な翻訳事業に乗り出し,ガレノスをはじめとして,ヒッポクラテス,プラトン,アリストテレス,ディオスコリデス,ユークリッド,プトレマイオスなどの多くのギリシアの学術文献を,シリア語を介してアラビア語に訳し,この活動は,カリフ,ムタワッキルの治世のとき最高頂に達した。アッバース朝におけるギリシア学術の移入と勃興に最も功績あった人物であり,彼自身の著作としては,ラテン語訳されて中世を通じて大きな名声を得た《ガレノス医術入門》などがある。
執筆者:伊東 俊太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報