ザマの戦(読み)ザマのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「ザマの戦」の意味・わかりやすい解説

ザマの戦 (ザマのたたかい)

第二ポエニ戦争の雌雄を決した戦闘。決戦は北アフリカ,現在のチュニジアのマクタルの近くのザマ・レギアZama Regiaで行われたとみられる。前202年春,ハンニバルの率いるカルタゴ軍が,大スキピオの率いるローマ軍と死闘の末,敗れた戦。兵力的には両者拮抗していたが,ヌミディアのマシニッサの援軍を擁し,騎兵兵力に勝ったローマ軍の快勝となり,カルタゴの死命を制した。決戦の場所・日時については議論がある。
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百科事典マイペディア 「ザマの戦」の意味・わかりやすい解説

ザマの戦【ザマのたたかい】

第2ポエニ戦争の決戦。前202年,ローマの将軍大スキピオが,北アフリカのカルタゴ南西のザマZamaでハンニバルの率いるカルタゴ軍を撃破した。
→関連項目スキピオ[大]|ハンニバル

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世界大百科事典(旧版)内のザマの戦の言及

【ポエニ戦争】より

…しかしローマの同盟市はローマから離反せず,ハンニバルはマケドニアのフィリッポス5世およびシチリアのシラクサと結んだにもかかわらず,首都ローマを衝きえず,半島の南端に追いつめられて戦線も膠着した。しかし,イベリア半島を制圧したスキピオ(大)に率いられたローマ軍は北アフリカに渡り,前202年ザマの戦でハンニバルを破り,第2次ポエニ戦争もローマの勝利に終わった。その結果,カルタゴは海外領土をすべて失い,巨額の賠償金を科せられた。…

【マシニッサ】より

…スキピオ(大)の信任を得,ローマ軍とともにアフリカに帰還し,前203年,シュファクスを倒して,ローマ元老院によりヌミディアの王と認められた。ザマの戦(前202)でローマの勝利に貢献した後,前193年ころまでにマサエシュリ領併合を完了。次いでカルタゴ領の領有権を主張して侵入を重ね,マケドニア戦争,シリア戦争への援軍派遣により,ローマの好意を確保しつつ占領地支配の既成事実化をねらった。…

※「ザマの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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