マシニッサ(その他表記)Masinissa

改訂新版 世界大百科事典 「マシニッサ」の意味・わかりやすい解説

マシニッサ
Masinissa
生没年:前238-前148

古代ヌミディア王国の創始者。第2次ポエニ戦争初期,マッシュリ王族の一人としてカルタゴ軍に参加。イベリア半島ローマと戦ったが,マサエシュリ王シュファクスSyphaxのマッシュリ領侵攻およびカルタゴとの同盟をみてローマ側に転身した。スキピオ(大)の信任を得,ローマ軍とともにアフリカに帰還し,前203年,シュファクスを倒して,ローマ元老院によりヌミディアの王と認められた。ザマの戦(前202)でローマの勝利に貢献した後,前193年ころまでにマサエシュリ領併合を完了。次いでカルタゴ領の領有権を主張して侵入を重ね,マケドニア戦争,シリア戦争への援軍派遣により,ローマの好意を確保しつつ占領地支配の既成事実化をねらった。この強引な政策はカルタゴの武力抵抗を招き,第3次ポエニ戦争の導火線となる。王国統治機構整備のため,彼はポエニ文化に加えてヘレニズム文化の導入に努め,税制,軍制をはじめ,農業経営の改革も試みたが,ムルカ川からレプティス・マグナに至る広大な領土のうち,王の直接支配が及ぶのは主として東部の王領地に限られ,ヌミディア王国の,諸部族,都市の寄木細工的性格はついに払拭されなかった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マシニッサ」の意味・わかりやすい解説

マシニッサ
ましにっさ
Massinissa
(前240ころ―前149)

ヌミディア王(在位前202~前148)。第二次ポエニ戦争(前218~前201)期に、北アフリカ先住民ベルベル系諸王権の一つ、マッシュリー王国の王子であった彼は、カルタゴ軍に加わって従軍したイベリア戦線でローマの敵将スキピオ・アフリカヌス(スキピオ(大))と接触、協力を誓った。父王の死後、カルタゴの意を迎えて侵入した隣国マサエシュリー国王シュファックスを相手に苦戦したが、おりしもアフリカ上陸を果たしたスキピオ(大)指揮下のローマ軍の助力で、シュファックス・カルタゴ連合軍を打倒して即位。旧マサエシュリー領をも併合して、東はシドラ湾岸から西はマウレタニア(現モロッコ付近)国境に達する大王国を形成するに至った。第二次ポエニ戦争終結後は、ローマの黙認の下で敗者カルタゴの穀倉地帯蚕食、この地の農業経営を基礎としてヘレニズム諸国とも交流し、古代ベルベル王権の最盛期を現出。しかし、その露骨な侵略政策はついにカルタゴの武力反撃を招き、これを口実としたローマの対カルタゴ宣戦布告により、第三次ポエニ戦争(前149~前146)となる。

栗田伸子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マシニッサ」の意味・わかりやすい解説

マシニッサ
Massinissa(Masinissa)

[生]前240頃
[没]前148
北アフリカ,ヌミディアの支配者。カルタゴで育ち,第2次ポエニ戦争では最初カルタゴの騎兵隊を指揮してスペインでローマと戦った (前 212~206) が,ローマの優勢を悟ってローマ側へ寝返った。以後ローマのカルタゴ侵入を助け,またローマの援助のもとにヌミディアの王となり,ローマとの密接な友好関係のうちにヌミディアの領土を広げ,文化を高めた。やがてカルタゴをも含めた北アフリカ帝国を夢みるにいたった。カルタゴ攻撃を目的としたローマ軍のアフリカ上陸 (前 149) を喜ばなかったが,前 148年ローマと決裂にいたらないうちに死亡

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