現代外国人名録2016 「ジョンフルシアンテ」の解説
ジョン フルシアンテ
John Frusciante
- 職業・肩書
- ロック・ギタリスト
- 国籍
- 米国
- グループ名
- 旧グループ名=レッド・ホット・チリ・ペッパーズ〈Red Hot Chili Peppers〉
- 受賞
- グラミー賞(第35回)〔1992年〕「ギブ・イット・アウェイ」,グラミー賞(第42回)〔1999年〕「スカー・ティッシュ」
- 経歴
- 幼少時から卓越したギターの腕前を誇り、15歳でフランク・ザッパのバンドのギタリスト・オーディションに最終選考まで残った。1988年18歳でレッド・ホット・チリ・ペッパーズにギタリストとして加入。同年アルバム「母乳」を発表。90年初来日。パンク、ファンク、ヒップホップとロックを融合したミクスチャー・ロックと呼ばれる独自の作風を確立し、センセーショナルなライブ・パフォーマンスでも人気を集めた。’91年にはアルバム「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」が全世界で約1000万枚を売り上げる大ヒットとなり、シングルカットされた「ギブ・イット・アウェイ」もグラミー賞を獲得するなど、一気にロック界の頂点に立った。’92年には2度目の来日ツアーを行うが、その途中で帰国しグループを脱退。’94年初のソロアルバム「Niandra LaDes & Usually Just a Tshirt」をリリースした。’98年バンドに復帰して’99年「カリフォルニケイション」を発売し、全世界で1500万枚を売り上げただけでなく、シングル「スカー・ティッシュ」でバンドとしては2度目となるグラミー賞を受賞。以後はバンドと並行してソロとしての活動も続け、2004年には1年間で6作のソロアルバムを発表するという離れ業をみせた。バンドでも2002年「バイ・ザ・ウェイ」を経て、2006年アルバム「ステイディアム・アーケイディアム」を発表、同作からシングルカットされた「ダニー・カリフォルニア」は日本の映画「デスノート」の主題歌にもなった。2007年来日。2009年バンドを脱退。音楽雑誌のギタリスト・ランキングでは常に上位にランクインし、ジョン・メイヤー、デレク・トラックス(オールマン・ブラザーズ)とともに2007年米国「ローリング・ストーン」誌の“現代の三大ギタリスト”に選ばれた。ソロアルバムは他に「The Will To Death」「Automatic Writing」「Inside of Emptiness」「Curtains」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報