主題歌(読み)シュダイカ

デジタル大辞泉 「主題歌」の意味・読み・例文・類語

しゅだい‐か【主題歌】

テーマソング」に同じ。「映画の主題歌

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精選版 日本国語大辞典 「主題歌」の意味・読み・例文・類語

しゅだい‐か【主題歌】

  1. 〘 名詞 〙 ある作品の主題をもとにして作った歌。特に、映画、演劇、テレビ、ラジオなどで、その内容と密接な関係のある歌曲。テーマソング。〔モダン語辞典(1930)〕
    1. [初出の実例]「僕はある婦人雑誌に『どの映画にも向く主題歌』といふのを〈略〉発表したところ」(出典:舗道雑記帖(1933)〈高田保〉心境小唄)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「主題歌」の意味・わかりやすい解説

主題歌
しゅだいか

映画、演劇、ラジオ、テレビなどの作品のテーマやムードを表現するためにつくられた歌。テーマソング、テーマ曲ともいう。挿入歌、劇中歌のたぐいも広義にはこれに含まれ、レコードやコンパクトディスク(CD)の普及とともに流行歌の重要な分野を占めている。

[小川乃倫子]

日本映画の主題歌

日本の映画主題歌の第一号は、1929年(昭和4)の『東京行進曲』のための同名の作品(西条八十(さいじょうやそ)作詞、中山晋平(しんぺい)作曲)である。まだトーキー以前のことで、画面の歌詞にあわせ、楽士の伴奏により歌手がスクリーンわきで歌った。それ以前も、流行歌を取り入れた歌謡映画(『枯れすすき』をテーマにした映画『籠(かご)の鳥』がその代表作)はあったが、映画にあわせて主題歌が企画されたのはこれが最初で、佐藤千夜子(ちやこ)歌う「昔恋しい銀座の柳……」の歌詞で始まるこの歌は25万枚のヒットとなった。その後、映画会社とレコード会社は密接に手を結び、第二次世界大戦前から戦後にかけて、『二人は若い』(映画『のぞかれた花嫁』主題歌・1935)、『旅の夜風』(『愛染(あいぜん)かつら』1938)、『リンゴの唄』(『そよかぜ』1946)、『青い山脈』(同名映画の主題歌・1949)など、数多くの映画主題歌を世に送り出した。また、戦後の連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』『君の名は』『笛吹童子(ふえふきどうじ)』などの主題歌は、いずれも映画化に際してそのまま使われてヒットした。

 1964年(昭和39)の東京オリンピック以降、テレビの急速な普及に伴い、家庭における娯楽の中心は映画やラジオからテレビに移った。そのため、主題歌のヒットはアニメ、ドラマといったテレビ番組のものが多くなり、劇場映画の主題歌が流行歌となる例は少なくなったが、石原裕次郎と牧村旬子(じゅんこ)のデュエット曲『銀座の恋の物語』(同名映画の主題歌・1962)などはいまもカラオケの定番になっている。

 映画『少年時代』(1990・藤子不二雄原作・篠田正浩監督)の井上陽水(ようすい)(1948― )が歌う主題歌や、アニメーション映画『風の谷のナウシカ』(1984)、『となりのトトロ』(1988)、『もののけ姫』(1997)、『千と千尋(ちひろ)の神隠し』(2001)など一連の宮崎駿(はやお)作品の主題歌など、失われた郷愁を懐かしむような作品も広く人気を集めている。

[小川乃倫子]

外国映画の主題歌

外国映画の主題歌はトーキーとともに入ってきた。フランスの『巴里(パリ)の屋根の下』(1930)、『巴里祭』(1933)、『枯葉』(映画『夜の門』1946)などのシャンソン、ドイツ映画『狂乱のモンテカルロ』(1931)、『会議は踊る』(1931)の主題歌など、映画主題歌の名曲が1930年代から第二次世界大戦後にかけて日本でも愛唱された。戦後、アメリカやヨーロッパの映画が解禁されると、アカデミー賞の主題歌賞(1934年設置)の受賞作品『虹の彼方(かなた)に(オーバー・ザ・レインボー)』(1939年受賞、映画『オズの魔法使』主題歌)、『ハイ・ヌーン』(1952、『真昼の決闘』)、『慕情』(1955、映画名同じ)、流行語にもなった『ケ・セラ・セラ』(1956、『知りすぎていた男』)、『日曜はダメよ』(1960、映画名同じ)、『ムーン・リバー』(1961、『ティファニーで朝食を』)などが日本でも大ヒットした。

 このほか、『時の過ぎゆくままに』(『カサブランカ』1942)、『二人でお茶を』(1950)、『セプテンバー・ソング』(『旅愁』1950)、『雨に唄えば』(1952)、『マルセリーノの歌』(スペイン映画『汚れなき悪戯(いたずら)』1955)、『トゥナイト』(『ウェスト・サイド物語』1961)など枚挙にいとまがない。クラシック音楽が映画に取り上げられた例としては、1998年のアカデミー作曲賞の劇映画部門を受賞したイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の主題歌(オッフェンバック作『ホフマンの舟歌』)があげられる。

 1987年のアカデミー作品賞受賞作『ラスト・エンペラー』では、坂本龍一が同作曲賞を受賞し、日本人作曲家の世界への門を開いた。また、1996年(平成8)公開の日本映画『Shall We ダンス?』は、ハリウッド映画『王様と私』(1956)の主題歌をそのまま題名にした日本映画で、社交ダンスブームの火付け役ともなった。

 なお、劇中で使用される楽曲はサウンドトラック(サントラ)と称され、映画『フラッシュダンス』(1983)、『ボディガード』(1992)、『タイタニック』(1997)のサントラ盤は、いずれも日本国内で100万枚を超えるミリオンセラーとなった。

[小川乃倫子]

テレビ番組の主題歌

テレビ番組の主題歌としては、人気ドラマの主題歌などのほか、『鉄腕アトム』(1963~)から『ちびまる子ちゃん』(1990~)に至るまでのアニメ主題歌が圧倒的な人気を博している。1970年代の日本は経済基盤も整い、「もはや戦後ではない」といわれたが、松本零士(れいじ)(1938―2023)原作のテレビ・アニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974~)の主題歌は、日本人の使命感、ロマンを歌って戦中派の共感をも得た。しかし、ひたすら経済成長を目ざす風潮のなかで、主題歌の傾向はしだいに身近な日常生活や愛情、友情といった人間関係を歌うものが多くを占めるようになった。

 1976年にロッキード事件が起きたが、同じ年に子ども向けテレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」からコミカルなナンセンスソング『およげ!たいやきくん』の爆発的ヒット(シングル盤の売上げ400万枚超)が生まれたのは、社会の閉塞(へいそく)感を脱け出したい庶民の願望の表れであったともいえる。バブル経済崩壊後の1999年、NHKテレビの幼児向け番組「おかあさんといっしょ」の主題歌『だんご3兄弟』が、語呂(ごろ)あわせのような歌詞をタンゴのリズムにのせて、大人気を得たのも同じような例といえよう。

 一方、1990年代以降、経済重視の結果がもたらした自然破壊への反省や、世界的な文化遺産を取り上げるテレビドキュメンタリー番組も増え、とくにTBSドキュメンタリー「神々の詩(うた)」のテーマ曲(姫神(ひめかみ)作曲)は静かなブームをよんだ。NHKドキュメンタリー番組「プロジェクトX」に提供された、中島みゆき(1952― )作詞・作曲によるテーマ曲『地上の星』も記録的なロングセラーとなった。

[小川乃倫子]

『浅井英雄著『映画音楽――ヒット主題歌の変遷』(1984・誠文堂新光社)』『遠藤憲昭編『流行歌と映画でみる昭和時代』(1986・国書刊行会)』『松尾羊一著『テレビは何をしてきたか――ブラウン管のなかの戦後風俗史』(1987・中央経済社)』『保田武宏著『銀座はやり歌 1925~1993』(1994・平凡社)』『200CD映画音楽編纂委員会編『200CD 映画音楽スコア・サントラを聴く』(1999・立風書房)』

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