日本大百科全書(ニッポニカ) 「スピハルスキ」の意味・わかりやすい解説 スピハルスキすぴはるすきMarian Spychalski(1906―1980) ポーランドの政治家。ウッチ生まれ。ワルシャワ高等工業学校卒業。1931年に共産党に加入。1937年にワルシャワ開発計画に関しパリ国際博覧会で金賞を受けた。第二次世界大戦中対独抵抗闘争に参加、1945年に党政治局員兼ワルシャワ市長となったが、1949年にゴムルカとともに民族主義者として党を追われ、拘禁された。1956年6月名誉回復、11月に国防相に就任、1968~1972年に国家評議会議長を務めた。[木戸 蓊][参照項目] | ゴムルカ 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スピハルスキ」の意味・わかりやすい解説 スピハルスキSpychalski, Marian [生]1906.12.6. ウッチ[没]1980.6.7. ワルシャワポーランドの建築家,政治家。 1931年共産党に入党。 37年ワルシャワ発展計画案でパリ万国博覧会の大賞を受賞。第2次世界大戦中対独抵抗運動を指導,45~48年人民軍参謀総長,国防次官となった。 50年の粛清によりチトー主義者として投獄されたが,56年復党,同年党政治局員,次いで国防相となった。その間に元帥,68年3月国家会議議長 (元首) に就任したが,70年 12月ポーランド暴動の際辞任。 72年引退。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「スピハルスキ」の解説 スピハルスキ 生年月日:1906年12月6日ポーランドの建築家,政治家1980年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by