ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「センゲ・ホンタイジ」の意味・わかりやすい解説
センゲ・ホンタイジ
Sengge Qong Tayiji
[没]1585
中国,明末のモンゴルの部族長。トゥメット (土黙特)の順義王アルタン (俺答) の息子。センゲの名は漢字では辛愛と写され,ホンタイジ (黄台吉) とも略称される。若いときに父から独立して武勇をふるい,大いに明に恐れられた。 1571年アルタンが明と和して順義王に封じられると,センゲは都督同知に任じられた。父の命令に従わず,父の後妻三娘子とも不和であったが,81年に父が死ぬと,帰化城の富を握った三娘子と結婚しなければ順義王を襲封できないことになったため,82年三娘子と妥協して結婚,セチェン・ハンと称し,83年首尾よく順義王に封じられた。しかし内紛が続いて部内を統制する力を失い,まもなく死んだ。その跡は長子チュルゲが継いだ。
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