タ・トゥ・タウ
Ta Thu Tau
生没年:?-1945
1930年代,サイゴン(現,ホー・チ・ミン市)を中心にベトナム南部で活躍したトロツキスト系共産主義者。フランス留学中,トロツキーの影響を強くうけ,帰国後の1933年,フランス語の理論誌《ラ・リュット(闘争)》を創刊するかたわら,チャン・バン・ザオの指導するインドシナ共産党南部委員会と,サイゴン市会選挙で選挙協力を行い,35年の選挙には両派でベトナム人議席6のうち4を奪った。しかし37年,共産党の民主統一戦線論を批判する論文《人民戦線の反逆》を公表して共産党と別れ,39年にはコーチシナ植民地評議会選挙で共産党系を完敗させた。しかし40年,カトルー総督の弾圧によって政界から消えた。45年の解放直後にベトミンに殺されたという。
執筆者:桜井 由躬雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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タ・トゥ・タウ
Ta Thu Tau
? - 1945
ベトナムの活動家。
1930年代、サイゴンを中心に活躍したトロツキスト系共産主義者として知られる。フランス留学中にトロツキーの強い影響を受ける。’33年帰国後、フランス語の理論誌「ラ・リュット(闘争)」を創刊。’35年のサイゴン市会選挙においてチャン・バン・ザオの指導するインドシナ共産党と選挙協力を行う。’37年には論文「人民戦線の反逆」を公表して共産党と決別し、’39年のコーチシナ植民地評議会選挙で共産党系立候補者を完敗させる。’45年の解放直後、ベトミンによって殺されたといわれている。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のタトゥタウの言及
【ベトナム】より
…この社会変容を背景に,1925年[ホー・チ・ミン]によって[ベトナム青年革命同志会]が生まれ,これを母体に30年[ベトナム共産党]が成立し,また[グエン・タイ・ホク]のベトナム国民党が生まれた。共産党は30‐31年の[ゲティン・ソビエト]の壊滅によって一時打撃を受けたが,[チャン・バン・ザオ]が南部の組織を再建し,[タ・トゥ・タウ]らトロツキスト派と統一戦線を組んでサイゴン市会選挙などに進出した。しかし38年に大弾圧を受け,地下に潜った。…
※「タトゥタウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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