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人民戦線 じんみんせんせん people's front; popular front

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

人民戦線
じんみんせんせん
people's front; popular front

1934~35年頃の世界に台頭してきたファシズム勢力に対抗して結成された反ファシズムの広範な共同戦線。 35年8月ファシズムの世界的台頭という状況に直面したコミンテルン第7回大会は,G.ディミトロフ,P.トリアッチらの努力によって,社会民主主義政党を当面の敵としていた従来の社会ファシズム論を改め,各国の共産主義者,社会民主主義者が労働者,農民,小ブルジョアジーを基礎に広範に提携して人民戦線を形成し,ファシズムに対抗するという新しい方針を打出し,画期的な戦術的転換を行なった。

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デジタル大辞泉の解説

じんみん‐せんせん【人民戦線】

ファシズムと戦争に反対する政党や団体によって結成された広範な統一戦線フランスでは1935年6月に成立、1936年6月から1938年2月にかけて政権を担当、スペインでは1936年1月に成立、1936年2月から1939年初めにかけて政権を担当した。

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百科事典マイペディアの解説

人民戦線【じんみんせんせん】

1930年代中期以降,ファシズムの台頭と戦争の脅威を民主主義勢力の統一によって阻止しようとした各国の運動およびその組織。フランス語のFront Populaire,スペイン語のFrente Popularの訳。
→関連項目アクシヨン・フランセーズイバルリクロア・ド・フー社会ファシズムスタビスキー事件第2次世界大戦ダラディエトレーズフランス共産党フランス社会党フランス労働総同盟プロフィンテルンレフト・ブック・クラブ

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世界大百科事典 第2版の解説

じんみんせんせん【人民戦線 Front】

第1次,第2次世界大戦間期の1930年代,ファシズムの台頭に抗して組織された運動に与えられた名称。その代表的な表れは,人民戦線政府を成立させたフランスとスペインに見られるが,こうした動きは後で触れるコミンテルン第7回大会(1935年7~8月)における国際共産主義運動方向転換と密接に関連しており,国際的な広がりをもつものであった。
[フランス]
 1933年1月のドイツにおけるヒトラーの政権掌握は,国際的にファシズムの脅威を増大させたが,フランスでは世界恐慌あおりをうけた経済不安の高まりの中で,〈アクシヨン・フランセーズ〉や〈クロア・ド・フー〉などの極右ないしファッショ的志向の団体が活動を強化していた。

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大辞林 第三版の解説

じんみんせんせん【人民戦線】

反ファシズムの政党・団体による広範な共同戦線。1930年代半ばに、フランス・スペインで成立。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

人民戦線
じんみんせんせん
front populaireフランス語

1930年代、ファシズムの台頭に抗して組織された統一戦線運動。フランスとスペインでは人民戦線政府が成立した。しかし、この運動はロシア革命以来の国際共産主義運動の方向転換と密接に関連していて、他の諸国にも大きな影響を与えた。また、政治面だけではなく、ファシズムの危機に揺らぐ時代状況のなかで新たな可能性を開く試みとして思想・文化の面でも注目を集め、第二次世界大戦前夜の一時期を画した。[加藤晴康]

フランス

1933年ドイツでヒトラーが政権を握り国際的にファシズムの脅威が増大するなかで、フランスでは34年2月6日、右翼・ファッショ的諸団体が政府、議会を攻撃する騒乱事件が起こった。当時、社会党と共産党は1920年に分裂して以来対立状態にあり、労働運動も分裂していた。しかも国際的にコミンテルンが社会民主主義をファシズムに道を開くものとして第一の攻撃目標としていたことは、ファシズムに対する労働運動などの抵抗力を著しく弱くしていた。しかし、その分裂状況を超えようとする動きは、社会党のセーヌ県連など下部において現れていた。また、1933年元急進社会党のガストン・ベルジュリを中心にする「共同戦線」の名をとった試みもあった。他方、1932年8月、作家のアンリ・バルビュスやロマン・ロランらの提唱によりアムステルダムで国際反戦大会が開かれ、翌年パリで行われた2回目の大会の会場の名とあわせて、アムステルダム・プレイエル運動とよばれる知識人を中心にする運動が生み出されていた。こうした状況のなかで二月六日事件は人々に衝撃を与え、反ファッショ勢力結集と大衆的な行動の機運は急速に拡大することとなった。2月12日、労働総同盟(CGT)の提唱したゼネストに共産党系の統一労働総同盟(CGTU)も参加、また社共両党がそれぞれデモを組織し、共同行動への最初の一歩となった。
 人民戦線形成に至る過程には、社会党、共産党、それに急進社会党を加える政党レベルでの行動協定を伴う戦線統一の動きと、知識人を中心として文化的模索をはらんだ党派を超える運動の試み、それに、増大する危機に直面しつつ、現実を超える新たな方向への期待を含めた下からの人々の動きが絡み合っている。2月以後、統一した運動への意識的な動きとしてまず表面に現れたのは、3月5日に発足した反ファシスト知識人監視委員会であった。社会党と共産党はこうした機運のなかで同年の7月27日、統一行動協定に調印した。翌35年、アムステルダム・プレイエル運動の提唱で7月14日を期して統一示威運動を行うことが計画され、6月そのための委員会が社共両党に急進社会党も加わり、またCGT、CGTU、さらに知識人監視委員会のほか、人権連盟や青年婦人運動などの代表も参加して組織された。7月14日はパリをはじめ各地での大規模な示威行動の日となり、人民戦線はここに成立した。共産党が急進社会党と接近し共和政擁護を掲げた背後には、同年5月仏ソ相互援助協定を結んで、国際的に孤立から脱却しようとしていた当時のソ連の外交政策の変化と、コミンテルンの政策転換の動きがあった。7月末より開かれたコミンテルン第7回大会は、フランス人民戦線の結成を高く評価し、国際共産主義運動の課題を反ファシズム統一戦線の形成に置いた。
 1936年4~5月に行われた議会選挙で人民戦線派が圧勝し、社会党が第一党となった。この結果、6月4日に社会党のレオン・ブルムを首相とする人民戦線内閣が生まれた。この間、選挙の時期より労働者による工場占拠を伴ったストライキの波が起こり、6月には未曽有(みぞう)の規模で拡大した。これは人々による直接的な意志表示の欲求と新たな可能性への期待が、人民戦線の勝利の祝祭という様相をも呈しながら噴出したものであった。新政府は労働総同盟代表(CGTとCGTUは1936年3月合同を実現していた)と経営者側代表との間に、賃上げや組合運動の自由を認める協定を6月8日に締結(マチニヨン協定)させる一方、有給休暇、団体協約、週40時間労働などの労働・社会立法を相次いで成立させた。また政府内に新たに余暇・スポーツ庁が設けられ、休暇旅行やスポーツの組織化と大衆的普及が計られた。しかし人民戦線政府は短命に終わった。おりから始まったスペイン内戦にレオン・ブルム政府は不干渉政策をとり、国際的なファシズムの攻勢に対して、この政府が旧来の国際秩序に寄りかかった無力なものであることを示した。また資本の国外流出をはじめとしてもたらされた財政・経済困難に対し、政府は平価切下げを行うなどのほかに有効に対処しえなかった。そして、資本家の側の抵抗や右翼の新たな活動に対し、工場占拠などで示された大衆的エネルギーの噴出を恐れた政府は、かえって、人民戦線の形成を支えた下からの活力を失わせていった。1937年2月13日レオン・ブルムは人民戦線政策の「一時停止」を表明、6月22日には財政全権を求める法案否決を機に総辞職に追い込まれた。その後も人民戦線派の短命内閣が続き、1938年3~4月には第二次ブルム内閣も組閣されたが、同年11月急進社会党と共産党が決裂することにより、人民戦線は完全に終止符を打った。[加藤晴康]

スペイン

スペインでは1936年1月15日、共和主義左派、社会党、共産党、マルクス主義統一労働者党(POUM)、労働総同盟などの間で人民戦線の名をとった協定が成立した。これは2月に予定されていた選挙のための戦術協定という性格が強かったが、選挙において人民戦線派が過半数を獲得する勝利を収め、2月19日共和主義左派の中心マヌエル・アサニャを首相とする人民戦線内閣が誕生した(アサニャは5月10日大統領となる)。選挙の勝利は、1933年来「暗い2年間」とよばれる反動化の進行の下で弾圧を受けてきた大衆行動の激しい高揚によって迎えられた。労働者のストライキ、反動のシンボルでもあった教会の襲撃、政治犯の釈放、農村における小作農民による土地占拠などが各地に広がり、他方で人民戦線に反発する右翼やファッショ団体のテロが頻発した。人民戦線は選挙協定の枠を越え、政府は動揺しつつも土地改革を含めて一定の改革の方向を打ち出し、スペインはしだいに人民戦線とファシズム、右翼保守勢力との直接対決の場となっていった。7月17日、スペイン領モロッコで軍部が起こした反乱は、この状況を決定づけた。以来スペインは3年近くに及ぶ内戦に入り、反乱側を援助するドイツ、イタリアの介入により、国際的な焦点となったのである。[加藤晴康]
『●フランス ▽竹内良知編『ドキュメント現代史6 人民戦線』(1973・平凡社) ▽ダノス、ジブラン著、吉田八重子訳『フランス人民戦線』(1972・柘植書房) ▽平瀬徹也著『フランス人民戦線』(1974・近藤出版社) ▽ルフラン著、高橋治男訳『フランス人民戦線』(白水社・文庫クセジュ)』
『●スペイン ▽ヒュー・トマス著、都築忠七訳『スペイン市民戦争』(1962、63・みすず書房) ▽ブレナン著、鈴木隆訳『スペインの迷路』(1967・合同出版) ▽山内明編『ドキュメント現代史7 スペイン革命』(1973・平凡社)』

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世界大百科事典内の人民戦線の言及

【スペイン】より

…36年2月16日の総選挙が第2幕の幕あけであった。この時,左派陣営は統一行動をとれずに敗北した前回の総選挙を反省して,36年1月15日に選挙協力を内容とした人民戦線を結成し,政権の奪還を期した。選挙戦の結果,人民戦線派が勝利したものの,開会した議会は野次と怒号の応酬の場となり,正常な機能は停止していた。…

【戦間期】より

…フランスが誇るマジノ線の要塞は,これ以降この国を東ヨーロッパ同盟国から切り離すゲットーと化した。
[人民戦線の成立]
 ナチス政権の出現はソ連とフランスにとって深刻な脅威となった。〈一国社会主義〉のコースを邁進しつつあったソ連にとって,平和な国際環境の維持が何よりも必要とされ,日本,ドイツの現状打破政策に直面して,現状維持国との協調を選んだ。…

【チリ】より

…20年代から30年代にかけて共産党,社会党も結成された。 大恐慌以降この新しい傾向はさらに促進され,第2次大戦直前の38年には,資本家,中小地主,中間層の政党である急進党の主導で,社会党,共産党も参加した人民戦線政権が成立,以後52年まで急進党が政権を掌握し,工業化政策を中軸として,社会改革を進めた。しかし,同党はインフレの進行,1948年の共産党非合法化策などで,しだいに力を弱めていき,50年代末に至ってチリの政治勢力図は大きく変化する。…

【反ファシズム】より

…その後,30年代前半にドイツ・ナチズムの台頭と権力獲得に際して,反ファシズムは統一戦線あるいは反戦平和の思想と深い結びつきをもつようになり,またイタリア,ドイツをこえて国際的な広がりをもつに至る。30年代半ばになると,ファシズムに対抗,阻止するものとして人民戦線が提起され,人民戦線が反ファシズムの主要なあり方とみなされる時期が生じる。第2次大戦の勃発後,ドイツとイタリアに占領された国々で占領軍に対するレジスタンスが起こり,ここでは反ファシズムとレジスタンスの関係が重要なものとなった。…

【プリエト】より

…34年アストゥリアス革命の失敗後,フランスへ亡命。アサーニャとともに人民戦線の形成に尽力した。36年内戦が始まると,海・空相,国防相に就任。…

【レフト・ブック・クラブ】より

…イギリスの左翼人読書クラブ。1936年5月,人民戦線に文化的・大衆的基盤を提供する目的で設立された。V.ゴランツ,E.J.ストレーチー,H.J.ラスキが選者となり,ファシズム,戦争,貧困を扱う選書を毎月配布し,機関紙《レフト・ニューズ》を発行,最盛期には5万7000の会員と1500の討論集団を擁した。…

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