改訂新版 世界大百科事典 「ダーラーシコー」の意味・わかりやすい解説
ダーラー・シコー
Dārā Shikōh
生没年:1615-59
インド,ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの長男。長じて,父よりパンジャーブの統治をまかされたが,彼自身はデリーの宮廷にとどまっていた。帝位継承者に指名されていたものの,父が1657年病気に倒れると,ほかの3人の弟たちとのあいだに帝位争いが起こった。58年および59年,三男のアウラングゼーブの軍に敗れ,ついにデリーで処刑された。彼は,宮廷随一の学者で,アクバル時代以来つづくイスラム神秘主義の流れをくみ,宗教的には折衷,融和主義の思想の持主であった。ヒンドゥーの学者やヨーロッパ人宣教師をよく宮廷に招いて議論したといわれており,また《マハーバーラタ》などのサンスクリットの古典のペルシア語訳を行った。
執筆者:小名 康之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報