チェシン(その他表記)Cieszyn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェシン」の意味・わかりやすい解説

チェシン
Cieszyn

ポーランド南部,シロンスキェ県の都市。チェコ語ではチェシーン Těšín,ドイツ語ではテシェーン Teschen。カトウィツェの南南西約 60km,チェコとの国境をなすオドラ川 (オーデル川 ) 支流のオルザ川に臨む。 12世紀に建設された砦が起源。 13世紀末からピアスト公国の首都。 1335年に公国はボヘミアの支配下に入り,1526年にはボヘミアとともにハプスブルク家の勢力下に入った。 1625年にピアスト家は断絶,公国はオーストリア王領に編入。 1918年のオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊後は,チェシン周辺の地方約 2300km2はポーランドとチェコスロバキアとの係争地となり,1919年にはチェコ軍部隊がその大部分を占領。翌 1920年に成立した協定の結果,約半分の地域がチェコスロバキア領となったが,その際チェシンの市街はオルザ川によって両国に分割され,右岸の旧市街側はポーランド領,左岸の新市街側はチェコ領チェスキーチェシーン Český Těšínとなった。右岸はポーランドで最も美しい都市として知られ,民族衣装収集の多い博物館,ポーランド最古の建物一つ,円形ロマネスク様式の礼拝堂などがある。電機,繊維,食品加工などの工業が行なわれる。人口3万 6640 (2002) 。

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