ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャガン・テムル」の意味・わかりやすい解説
チャガン・テムル(察罕帖木児)
チャガン・テムル
Chaghan Temür
[没]至正22(1362)
中国,元末の武将。沈邱 (河南省) の人。字は延瑞。諡は献武。祖父以来河南に居住し,勢力を伸張。至正 12 (1352) 年義勇兵をつのって江淮の群盗を破り,汝寧府のダルガチ (達魯花赤)を賜わって以来歴戦し,同 16年中書兵部尚書に累進,ボロト・テムル (孛羅帖木児)と並ぶ軍閥に成長し,元軍を支えた。のち劉福通の紅巾軍を討伐敗走させ,山東の紅巾軍の田豊らを下し,同 20年頃には河南,河北,山東,陝西を回復し,翌年中書平章政事になったが,益都を攻略中に寝返った田豊に殺された。
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