日本大百科全書(ニッポニカ) 「デサリーヌ」の意味・わかりやすい解説 デサリーヌでさりーぬJean Jacques Dessalines(1758―1806) ハイチ独立運動の指導者、皇帝。「デサラン」ともいう。1791年の黒人の反乱に参加。トゥーサン・ルーベルチュールの独立運動を黒人軍の副官として助け、その逮捕後はフランス軍に対する反撃を指導し、撃退した(1803)。1804年1月1日に独立を宣言、原住民の呼称ハイチを国名とした。ついで皇帝となりジャック1世と称した。白人プランターの放棄した土地を国有化し、06年には「土地はハイチ国民のものである」と明記した憲法を制定したりしたが、反乱が起こり暗殺された。[後藤政子] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デサリーヌ」の意味・わかりやすい解説 デサリーヌDessalines, Jean-Jacques [生]1758頃[没]1806.10. ポルトープランスハイチ独立運動の指導者。皇帝 (在位 1804~06) 。黒人の奴隷の子として生れ,1791年独立運動に参加,1802年にはフランス軍に降伏したが,03年再度蜂起してフランス軍を破り,翌 04年独立を宣言した。同年9月皇帝に就任,ジャック1世と称した。 06年 10月混血住民の反乱鎮圧中に殺された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by