現代外国人名録2016 「デーブギルモア」の解説
デーブ ギルモア
Dave Gilmour
- 職業・肩書
- ロック・ギタリスト
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1946年3月6日
- 出生地
- ケンブリッジシャー州ケンブリッジ
- 本名
- ギルモア,デービッド〈Gilmour,David〉
- グループ名
- 旧グループ名=ピンク・フロイド〈Pink Floyd〉
- 勲章褒章
- CBE勲章〔2003年〕
- 経歴
- 幼い頃からギターを始め、1965年リック・ウィルスらとバンドを結成。のちフランスでギタリストやモデルをしたあと、’68年重度の麻薬中毒のために脱退したシド・バレットの後任ギタリストとしてピンク・フロイドに参加、ブルースを基調とした叙情感溢れるギターでサウンドの中心的存在となった。’71年ピンク・フロイドとして初来日。’73年発表のアルバム「狂気」が初の全米1位を獲得し、現在に至るまで約3000万枚を売り上げたロックの古典的名盤となった。’74年からはバンドと並行しながらソロ活動を開始し、プレイヤーとしてロイ・ハーパーらのアルバムに参加した他、ユニコーンらのプロデュースや、女性アーティストのケイト・ブッシュを発掘しそのデビューを助けるなど多方面に活躍。’78年にはソロアルバム「デービッド・ギルモア」を発表。’83年アルバム「ファイナル・カット」を発表した後、メンバー間の音楽に関する方向性の違いからフロントマンのロジャー・ウォーターズが脱退したため、バンドとしての活動を停止。以後はソロとして’84年にセカンドアルバム「狂気のプロフィール」を発表し、’85年にはドリームアカデミーのプロデュースを手がけた。またセッションプレイヤーとしてもブライアン・フェリーやポール・マッカートニー、ピート・タウンゼント、ポール・ロジャーズらと仕事をしている。’87年ニック・メーソン、リック・ライトとともにピンク・フロイドを再結成し、アルバム「鬱」が大ヒット。さらに’94年に発表したアルバム「対」が英米でチャート1位に輝き、それに続いて大規模なワールドツアーを行うなど旺盛に活動したが、’96年ロックの殿堂入りを果たした後にバンドとしての活動を再び休止した。ロジャー・ウォーターズとはピンク・フロイドというバンド名の使用権を巡って法廷闘争を行うなど確執が伝えられてきたが、2005年アフリカの貧困撲滅を目的としたチャリティー・イベント、ライブ・エイトで久々に旧メンバー4人が一同に会してコンサートを行い、話題となる。2006年22年ぶりのソロアルバム「オン・アン・アイランド」を発表。2014年、2008年に亡くなったリック・ライトへのトリビュートとして、ピンク・フロイドとしては20年ぶりとなるアルバム「永遠」をリリース。ピンク・フロイドとしての他のアルバムに「神秘」「原子心母」「おせっかい」「ザ・ウォール」「PULSE」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報