ブライアン(読み)ぶらいあん(英語表記)William Jennings Bryan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブライアン」の意味・わかりやすい解説

ブライアン
ぶらいあん
William Jennings Bryan
(1860―1925)

アメリカ合衆国の政治家。イリノイ州に生まれる。1887年ネブラスカ州に移り、弁護士業のかたわら、政治活動に参加。90年連邦下院議員に選出(1891~95)。民主党内の銀貨無制限鋳造派(フリー・シルバー派)の指導者として台頭。96年民主党全国大会において、金単本位制に反対する「金の十字架演説により大統領候補に指名され、ポピュリスト人民党)の指名をも受けて、共和党マッキンリーと戦ったものの敗北。1900年、08年にも出馬したが、いずれも敗北した。12年ウィルソンの民主党大統領候補指名を支援した。ウィルソン政権の国務長官に就任したが、第一次世界大戦に際し厳正中立を唱えてウィルソンと対立、15年に辞任した。晩年は、進化論教育反対を唱えて「猿裁判」(スコープス裁判)で検察側にたつなど、そのファンダメンタリスト(根本主義者)としての立場をあらわにした。

横山 良]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブライアン」の意味・わかりやすい解説

ブライアン
Bryan, William Jennings

[生]1860.3.19. イリノイセーレム
[没]1925.7.26. テネシー,デートン
アメリカの政治家。 1883年弁護士。 91年下院議員。 96年には銀貨の無制限鋳造を掲げて南・西部の農業地帯を地盤に民主党,人民党,銀貨党連立の大統領候補に指名されたが落選。次いで 1900,08年の大統領選挙戦でも敗北した。 12年には W.ウィルソン大統領の実現に努力し,翌年国務長官に就任したが,第1次世界大戦に際しウィルソンの連合国寄りの政策に反対して 15年辞職。内には金権政治を批判し,外には帝国主義反対を唱え,大雄弁家として知られた。

ブライアン
Bryan, Sammuel M.

[生]1846.2. オハイオ
[没]?
日本政府雇のアメリカの郵便事業家。本国で郵便局長をつとめ,厚遇を期待して来日,アメリカ公使 C.デ・ロングの斡旋で 1873年2月,大蔵省駅逓寮雇となる。日米郵便交換条約の締結,次いで万国郵便条約への加盟に尽力した。 82年 11月,解任。帰国後は事業家となったが,88年セントラル・ヒーティング社倒産後の消息は不明である。

ブライアン
Bryan

アメリカ合衆国,テキサス州南東部の都市。綿花,牧草,野菜などを産する農業地帯の中心地。酪農,養鶏が行われ,綿実油などの食品加工業も盛ん。テキサス農工大学 (1876創立) ,州農事試験場などがある。人口5万 5002 (1990) 。

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