日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェリー」の意味・わかりやすい解説
フェリー(Enrico Ferri)
ふぇりー
Enrico Ferri
(1856―1929)
イタリアの刑法学者、政治家。1880年24歳の若さでボローニャ大学の助教授に就任したが、その就任講演はのちに改訂され、実証学派の刑法理論の主著『犯罪社会学』となった。1894年にいったん政界に入り、社会党議員として活躍。一時は同党機関紙『アバンティ(前進)』の編集長を務めた。1904年にパレルモ大学教授に復帰、1909年ローマ大学教授に転じた。1920年に、委員の大部分が実証学派の学者よりなる刑法改正委員会の委員長に就任し、1921年に責任・刑罰の概念を否定したきわめて進歩的なイタリア刑法草案を発表。世にフェリー草案とよばれ、1926年のソビエト刑法に影響を与えた。
[西原春夫 2018年10月19日]
フェリー(Jules François Camille Ferry)
ふぇりー
Jules François Camille Ferry
(1832―1893)
フランスの政治家。第二帝政末期の反帝政活動で知られ、1869年帝政最後の総選挙で急進共和派の代議士となった。しかし第三共和政実現後は穏和共和派の領袖(りょうしゅう)として、急進派の主張する左翼的諸改革の遂行を避ける政策をとり、「日和見(ひよりみ)主義」派の巨頭と目された。彼は1879~1885年の間に文相、首相として、内政面ではカトリックの反共和主義的活動を封じるため、無認可修道会の解散、非宗教的初等義務教育制の創設に、また対外面では伝統的植民帝国主義政策をとって、インドシナの征服に力を尽くし、それぞれにみるべき成功を収めた。
[石原 司]