ドクロリー(その他表記)Ovide Decroly

改訂新版 世界大百科事典 「ドクロリー」の意味・わかりやすい解説

ドクロリー
Ovide Decroly
生没年:1871-1932

ベルギーの精神科医,20世紀初頭の国際的新教育運動の指導者。ガン大学で医学を学び,ベルリン,パリに留学。帰国後,1901年知恵おくれと障害者のための教育施設を自宅につくったのをはじめ,07年にはブリュッセル郊外に普通児のために〈生活による生活のための学校L'école pour la vie,par la vie〉を創設した。第1次世界大戦後はブリュッセル大学の教授となり,21年フランスのカレーで結成された国際新教育連盟では,イギリスのエンソールBeatrise Ensorとともに中心的役割を果たして注目された。彼が設けたいわゆる生活学校の教育法は〈ドクロリー法〉といわれているが,伝統的な権威主義教育の打破をめざす,子どもの欲求と興味を重視した生活総合カリキュラムである。具体的な学習活動は,観察連合,発表の3段階に分かれ,まず生活題材の観察を行い,さらに読書などによって得た諸観念を連合させ,最後にこうして得られたものを表現,発表させるものである。ドクロリー法はベルギー,フランスをはじめ,日本の新教育運動にも大きな影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドクロリー」の意味・わかりやすい解説

ドクロリー
Decroly, Ovide

[生]1871.7.23. ルネー
[没]1932.9.12. ブリュッセル
ベルギーの教育学者,心理学者,医学者。ドクロリー法の創始者。ガン大学で医学を修め,1896年医学博士。ベルリン,パリで医学を研究し,1901年ブリュッセルに遅進児らのための研究所を設立。 07年ブリュッセル郊外イクゼルに新学校思想による実験学校「生活による生活のための学校」L'école pour la vie,par la vieを設立し,ここでドクロリー法を実践した。 20年ブリュッセル大学講師,28年同教授となり心理学,教育学を講じるかたわら,医科大学師範学校の講師をつとめたり,障害をかかえた児童に対する教育の視学官を市から任命されたりし,多方面で活躍した。主著特殊児童の治療と教育』 Le traitement et l'éducation des enfants irréguliers (1925) 。

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