大学での教養の読書は,正規の教養教育カリキュラムでの読書と,学生時代にふさわしい任意の,正課外の読書とに大別できる。本来両者は同根で,現に中世ヨーロッパでは,学芸学部のカリキュラムを独占したアリストテレスは,教室外でも若者たちを虜にした。しかし,学問が専門化・技術化した現代では,正規の教養教育(一般教育)のみでは学生の人生問題に応え切れず,正課外の任意の読書も不可欠である。以下では,日本とアメリカ合衆国を例に両者の特色を見てゆく。
[正課外の読書]
第2次世界大戦前と戦後日本の学生の任意の読書について,ともに「最近読んで感銘を受けた書名」を尋ねた,1938年(昭和13)と1987年(昭和62)の調査を比較する。前者は,文部省が当時の帝国大学,官公私立大学,および旧制高等学校・大学予科の学生に実施したもの(回答数約2万3000),後者は,全国大学生協が旧帝大5校と早慶を含む22大学の学生を対象としたもの(回答数2100余)である。回答数は異なるが,大雑把な傾向は知りうる。昭和13年の学生と昭和62年の学生が,ともに感銘を受けた書物はあったのか。前者の調査では火野葦平の『麦と兵隊』と『土と兵隊』が約3500と1900の支持者を得て他を圧倒したが,合計10人以上の支持者を獲得し,かつ書名が判明するのは71冊であった。後者では1位が『伊達政宗』(26人)で『竜馬がゆく』(18人)と続いたが,支持者4人以上の書物の冊数は前者とまったく同じ71冊であった。
昭和13年の上位71冊のうち,半世紀後の71冊中に再登場したのは『罪と罰』,『友情』(武者小路実篤),『風とともに去りぬ』の3冊のみであった。ただし,昭和13年の71冊は『漱石全集』を含んでおり,これを昭和62年の『こころ』『それから』『三四郎』と対応させれば,再登場したのは6冊と見なしうる。それでも昭和13年の8.5%でしかない。とくに火野葦平から阿部次郎『三太郎の日記』までの1938年の上位10冊は,パール・バックの『大地』を除き,昭和62年の全回答書物316冊(2人以上)から完全に消滅している。学生の教養の糧となったはずの読書は,戦前と戦後とで断絶して一貫性を欠き,時代背景や流行の影響が顕著である。マルクス主義文献の全盛から十年余で火野葦平の独壇場が訪れ,その数年後に火野は旧制高校生の読書対象から姿を消す。戦前と戦後の政治・文化上の断絶を前提にしてもなお,大学生の教養としての任意の読書が,時代を超えた共通基盤を持たない現実は注目に値する。
[正課内の読書]
ヨーロッパの教養教育が中等学校に移行した後も,アメリカ合衆国のカレッジでの教養教育は継続した。しかし実際にはその存続は,科学研究中心の大学が台頭した19世紀末には風前の灯であった。危機の克服を可能にしたのは,科学研究の聖地ドイツを「元凶」とする世界大戦の勃発であった。科学研究こそ野蛮な争いから人類を永久に解放する,との信仰が根本から覆され,研究大学の関係者の自信喪失と大規模な戦争への加担の負い目とが,近代以前と科学時代の評価を逆転させたのである。「古い」人文学が見直され,カレッジでの教養教育が復活した。
そうした復活の象徴が,1937年グレート・ブックスの講読と討議を体系化したセント・ジョンズ・カレッジ(アメリカ)である。1938年,同カレッジはホメロスからヒルベルトまで哲学,宗教,歴史,科学,文学を代表する117人の著者を公表した。1960年,著者は94人に圧縮されたが,うち72人は38年のリストと同一人物であった。1938年の図書リストを,哲学者A. マイクルジョンがウィスコンシン大学で実施した,古代ギリシアと現代アメリカの社会問題を検討した教養プログラムのリストと比較すると,後者が古代ギリシア用に指定したホメロスからプルタルコスまでの12冊のうち10冊がセント・ジョンズと重なっていた。セント・ジョンズの2016年のリストと,コロンビア大学の教養総合科目「現代文明」の2014年の人文・社会分野の読書リストは,原典の著者の総計約60人のうちプラトン,アリストテレス,アクィナス,デカルト,ルソー,カント,アダム・スミス,マルクスを含む約20人が共通である。
20世紀以降の合衆国の大学では,教養教育用の講読書は流行とは疎遠で安定した位置を確保したのみならず,原典から精選された箇所が学生に集中的に提示されてきた。専攻や年齢が隔たった卒業生であっても,類似の文化遺産と論点とに接した経験を共有しているのである。しかし安定と共通には保守性が伴う。合衆国の教養科目の正典=canonは,白人男性中心主義のかどで批判に晒され,最近では「西洋文明」自体も不評である。将来,中世の「アリストテレス」が再来するのか,はたまた教養の読書は消滅するのか,にわかには断定し難い。しかし,読書が大学教育の命運の決定要因であることは確かである。
著者: 立川明
参考文献: 文部省教学局「学生生徒生活調査」上・下,昭和13年11月調査.
参考文献: 大学生協連読書調査委員会編『大学生の読書生活 1987年版』全国大学生活協同組合連合会,1987.
参考文献: Cronon, David & Jenkins, John W., The University of Wisconsin: A History, 1925-1945, Vol. Ⅲ, Madison: The University of Wisconsin Press, 1994.
参考文献: Smith, J. Winfree, A Search for the Liberal College, Annapolis: St. John's College Press, 1983.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
本を読むことの意義や目的はさまざまであるが,大別すれば教養を高めるため,知識・情報をとり入れるため,そして娯楽のためという三つに分類することができる。しかし,これらは明確に区別しえない場合も多い。
近世以前において,読書は上流の有識者階級に独占され,支配層としてふさわしい知識や物の考え方を身につけることがその目的であった。対象も中国や日本の古典が重んじられた。〈見ぬ世の人を友とするぞ,こよなうなぐさむわざなる〉(《徒然草》)という自足的な心境を述べることは,むしろ例外であった。近世後期になると,寺子屋などの出現で,庶民の間にも識字人口がふえたが,読書の出発点は《論語》などの素読からはじまり,長じては1冊の古典をくり返し読むことが求められた。この〈詰込み主義〉と〈修養主義〉は,ながく日本の読書人を支配した。近代初期は,福沢諭吉ら実学的インテリゲンチャの啓蒙思想が勢力をふるい,〈実なき学問〉(《学問のすゝめ》)を排し,経国済民のためとなるような読書が要求された。しかし,明治末期から大正時代に入ると,時代閉塞感を反映して,文学や哲学を重んじ科学や技術を軽視する〈教養主義〉が支配的になる。それは非政治的,内省的,自己完成的な傾向をもっており,読書の対象は西欧の哲学や文学であった。この期には三木清,阿部次郎,倉田百三らの著書が多くの読者を獲得した。
第2次大戦後は,非政治的なものへの反省として,教養主義の修正が行われた。たとえば清水幾太郎は,書物は道具であり,古典的書物も現代の大衆文化の中で新しい文脈をもつようになったことを強調,あくまで自己の問題をもちながら古典に接せよと説く。しかし,古典を道具として用いるには,前提として権威の否定,社会改革の意思などの強い動機づけが必要である。70年代以降の読者層は,政治的な要因からの疎外と,大量消費社会を反映し,文学や思想上の古典に接近する動機をまったく失ってしまった。同時に家庭的・社会的要因により,読書のあり方は前例を見ないほど多様化したが,一方では映像など他のメディアの影響を大きく受けるようになり,安易にベストセラー読書に流れるなど,画一化も見られる。主体性を喪失しながら,なお〈自己〉の感覚に忠実に,表層的な〈面白さ〉を求めているのが,現代読書の典型である。
執筆者:紀田 順一郎
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…地主もやがて都会に広大な邸宅をかまえ,村落と都市との間の物産の交換がはげしくなり,荘園収入に関する訴訟事件がふえていった。透明ガラスが発明され,暗い北欧の建築に画期的な変化がおこり,冬季でも外光をとり入れることができるようになり,やがて光学レンズによる眼鏡がくふうされて,暇の処理に苦しむ金持ちの老人たちを読書人に変えていった。水車による動力の利用が盛んとなり,イスラム圏をこえて12世紀にスペインやイタリアの製紙工場でつくられた紙は,14世紀にはヨーロッパ全土に広がり,パピルスや羊皮紙に代わって書写の主材料となる。…
…上級武士の基礎的な教育は,家庭教育の一環として行われることもあったが,すでに平安時代末に平経正が7歳で仁和寺に入って学んでいることからも知られるように,寺で学ぶことが多く,この形態は室町時代には一般化した。毛利氏の家臣玉木吉保は,13歳のときから安芸の勝楽寺で3年間学んだが,その内容は,第1年目は,いろは・仮名文・漢字の手習い,《庭訓往来》などの往来物や《貞永式目》《童子教》《実語教》などの読書,第2年目は,漢字の手習い,《論語》《和漢朗詠集》などの読書,第3年目は,草行真の手習い,《万葉集》《古今和歌集》《源氏物語》などの読書,和歌・連歌の作法などを学び修了している。ここでは,算術は学ばれていないが,尼子氏の家臣多胡辰敬の家訓には,第1に手習い・学問,第2に弓術,第3に算用の勉学の必要をあげており,これら地方武士においても計算能力が重視されるようになったことが知られる。…
※「読書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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