翻訳|curry
インドにはもともと自国料理をカレーと呼ぶ習慣はなく、インド南部でソースなどを意味する単語「カリ」が欧州に伝わったのが由来との説がある。日本へは明治初期に欧州から伝わった。英国からカレーを導入した日本海軍の拠点があった青森県むつ市や神奈川県横須賀市、広島県呉市などで、その後ご当地カレーが発展。とろみのあるソースを粘りけのある日本米にかけて食べる日本のカレーライスに独自の進化を遂げた。(ニューデリー共同)
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インドを中心として,中近東から東南アジア,さらに今日では広く世界各国で使用されている混合香辛料,またはその混合香辛料で味付けした料理のことをさす。カリーと呼ぶことも多い。南インドのタミル語やカンナダ語で〈スープの具〉を意味するカリが,料理の名前としてポルトガル語経由で英語に入り,やがて世界中に広まったとされる。インドでは何にでもこの混合香辛料を加えて味付けをするが,暑く湿気の多い地方では,食欲を増進し,消化を助け,殺菌効果をもち,発汗作用を高めるなど,実に自然の摂理にかなった調味料といえよう。
成分としては,黄色い色を出すサフランやターメリック(うこん),刺激性の芳香を得るクミン,フェンネル(ういきょう),コリアンダー(こえんどろ),クローブ(丁子),シナモン(肉桂),カルダモン(しょうずく),ナツメグ(にくずく),辛みを出すペッパー(こしょう),チリ(とうがらし),マスタード(粒からし),ジンジャー(しょうが)などのほか,さまざまな木や草の実,根,葉,樹液,香草の類を加えた100余種にものぼる香辛料の中から,料理に合わせたブレンドがなされるので,必ずしも決まった配合と配合率があるわけではない。各家庭には石臼やカレーストーンと呼ばれる石板と石棒のセットがあって,これで調合した香辛料をごろごろすりつぶしてペースト状にして使うのであるが,最近では既製品のカレー粉が,本場インドでも多く使われるようになってきた。それでも,ブレンドの仕方は地方によって微妙に異なって,各地の味,各民族の味をかもし出している。
日本へは明治の初期に入って以来,急速に人気を得,米飯と組み合わせた独特のライスカレー(カレーライスともいう。英語ではcurry(and)riceまたはcurried rice)として,ハイカラな一品料理の代表となった。夏目漱石の《三四郎》にも1皿60銭で登場するが,最近の調査では,最もひんぱんに作られる家庭料理の筆頭になった。インドで出される甘酢っぱいチャツネ(果実などの香辛料煮)のかわりに福神漬やラッキョウをつけ合わせて,みごとに日本の味になっているといえよう。カレー粉の消費量も,本場インドについで,世界第2位といわれる。西洋料理にも大幅にとり入れられて,ピラフやグラタン,サラダ,スープ,あるいは魚肉料理の風味付けにと,世界各国で広く日常的に使われている。
執筆者:辛島 貴子
フランス北部,パ・ド・カレー県の港湾・工業都市。人口7万8170(1999)。ドーバー海峡に面するカレー港は利用客数においてフランス第1(年間250万人)であるが,隣県の港町ダンケルクとの競合という問題を抱えている。主要業種であるレース製造業はカレーの工業従事者の40%を抱え,フランスの機械織レースの4分の3を産する。カレーの企業の多くはイギリス系である。町は北と南に分かれ,古代ローマ時代からある北部は高級住宅地,商業地,港湾をもつ。19世紀の織物業発達に伴って併合された南部は工場地および労働者住宅地になっている。13世紀以降フランス・イギリス間の交易中継地として発展し,ハンザ同盟都市となった。百年戦争中,イギリス軍に占領された(1347)が,このとき6人の市民がイギリス王エドワード3世の前に出頭して他の市民を救った話は有名で,ロダンの彫刻《カレーの市民》にもなっている。1558年ギーズ公が奪回,16世紀末一時スペイン領となるが,1598年以後フランス領となった。19世紀,レース工業の移入およびカレー~ドーバー間の鉄道の開通により再度発展したが,両次大戦では大被害をこうむった。
執筆者:鈴木 隆
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フランス北端部、パ・ド・カレー県の港湾・工業都市。人口7万7333(1999)。パリの北北西305キロメートルに位置して、ドーバー海峡(カレー海峡)に臨み、イギリスのドーバーとの間43キロメートルは連絡船で結ばれ、また英仏海峡トンネルでフォークストンとも結ばれている。漁港、貿易港であるほか、旅行者の基地でもあるが、40キロメートル北東にフランス有数の港湾都市ダンケルクがあるため、その役割は低下しつつある。伝統的な織物工業(レース、リンネルなど)に加えて、食料品、化学、ケーブル製造、製紙用パルプ、酸化チタンなどの工業も行われる。百年戦争中の1347年、壮烈な抵抗ののちイギリス軍により占領された。このとき、刃物製造業者サン・ピエールEustache de Saint Pierreと5人の市民が、イギリス王エドワード3世の前に出て町を救った話は有名。
[高橋伸夫]
海辺の小村にすぎなかったカレーが拡大、発展を開始するのは10世紀の終わりごろからで、13世紀に入りブローニュ伯によって都市に防備が施された。1347年イギリスによって征服され、イギリスの支配はギーズ家のフランソアが奪回する1558年まで続いた。第一帝政の崩壊のあと、王政を復古するため亡命先からルイ18世がこの地に上陸した。第一次世界大戦のときにはドイツ軍の海上からの砲撃によって、またドイツに占領された第二次世界大戦中はイギリスの海岸砲台からの攻撃によって、都市は破壊し尽くされた。1944年6月から9月まで、ドイツ軍のイギリスに向けたロケット砲V1号の基地が築かれたが、同年9月末日連合軍によって解放された。
[志垣嘉夫]
混合香辛料、またはそれを調味料として使った料理。カレーの語源は南インドのタミル語のkari(ソース)に由来するといわれる。
[編集部]
フランス,パ・ド・カレー県の都市。ドーヴァ海峡に面し,13世紀にブーローニュ伯によって城塞化されたが,百年戦争中,1347年イングランド王エドワード3世によって占領された。ロダンの「カレーの市民」で有名な英雄的行為はその際の挿話である。町は以後,イギリスの大陸所領の拠点として保有されていたが,1558年ギーズ公フランソワによってフランスに奪還された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…しかし,〈インド料理〉としての共通性は香辛料の多用ということであろう。そしてこれら香辛料で味つけした料理をカレー料理と定義するならば,インド料理のほとんどはカレー料理ということになる。香辛料は釈迦が教えてくれたものという俗説があるが,事実相当古くから使われていたらしく,玄奘の記録にも残されているという。…
※「カレー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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