アイルランド自治運動の指導者。ウィクロウ州エイボンデールの旧家に生まれる。プロテスタント。ケンブリッジ大学卒業後、政界に入り強力な議事妨害戦術を展開して有名になり、1877年バットIssac Butt(1813―1879)を継いで自治運動の指導者になった。一方、1879年には土地同盟の議長に選ばれ、自治問題と土地問題の両面からアイルランド問題の解決をイギリスに迫った。グラッドストーンの土地法や自治法案は、彼の活動に負うところが大きい。しかし1890年、同僚の国民党議員の妻との不義が明るみに出て、国民党の分裂をもたらし、翌1891年の選挙に敗れて引退した。
[堀越 智]
『P・B・エリス著、堀越智・岩見寿子共訳『アイルランド史―民族と階級』上下(1991・論創社)』▽『S・マコール著、小野修編、大渕敦子・山奥景子訳『アイルランド史入門』(1996・明石書店)』▽『上野格著「アイルランド」(松浦高嶺著『イギリス現代史』所収1992・山川出版社)』▽『松尾太郎著『アイルランド民族のロマンと反逆』(1994・論創社)』
アイルランドの政治家。プロテスタントの地主の子に生まれたが,民族主義的な環境の下で育ち,ケンブリッジ大学中退ののち1875年から下院議員となる。I.バットの自治党に属し,議事妨害戦術で名をあげ,急速に党内で指導的役割を果たすようになった。79年にアイルランド民族土地同盟の会長になり,79-82年,土地所有権の回復を求める土地戦争を指導した。パーネルは地主制度廃止をイギリス支配を終わらせる第一歩と考えたのである。80年にアイルランド議会党(アイルランド国民党)党首に選出され組織を強化,85年の総選挙でアイルランドの103議席中85議席を確保した。グラッドストーンらイギリス自由党は,この結果から,自治要求をアイルランド人の総意と確信し,翌86年に自治法案を議会に提出した(最終的に自治法が成立したのは1914年)。87年にロンドンの《タイムズ》紙はパーネルがアイルランド事務大臣殺害事件(1882)に関係したと告発したが,これは偽造された手紙に基づく記事であることが90年に立証されて,名誉を回復した。しかしその直後,元同志の夫人との関係が明るみに出され,世論の非難を浴び,政治的にそれが利用されて失脚,失意のうちに死去した。
執筆者:上野 格
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