日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニカラグア革命」の意味・わかりやすい解説
ニカラグア革命
にからぐあかくめい
中米のニカラグアでソモサ一族の独裁体制打倒と民族の自立的発展を目ざし1979年7月に成功した革命。ニカラグアでは、1936年に国家警備隊長官のアナスタシオ・ソモサ・ガルシアが自由党のサカサ政権をクーデターで追放して以来ソモサ一族の独裁支配が続いていた。アナスタシオは56年に一詩人の手により暗殺されたが、その後を長男のルイスが継いだ。63年にルイスの秘書ルネ・シックが一時政権を担当したが、67年にはふたたび次男のアナスタシオ・ソモサ・デバイレが大統領となった。独裁体制下では、国民大衆の極度の貧困に加え、ソモサ一族が独裁権力を利用して経済権益の拡大を図ったため、非ソモサ系ブルジョアジーの不満も強かった。反ソモサ闘争は一貫してサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のヘゲモニーのもとで進められた。これは、1934年にアナスタシオ・ソモサに暗殺された民族解放闘争の英雄セサル・サンディーノの名前をとった組織で、1961年に結成されたものである。FSLNのゲリラ闘争は74年ごろから活発になり、78年8月には国会議事堂を占拠して人質と交換に政治犯の釈放に成功するなどした。一方、78年1月に反ソモサ・キャンペーンを繰り広げていた『ラ・プレンサ』紙の社主ホアキン・チャモロが暗殺された事件をきっかけに、広範な国民が反独裁運動に加わった。79年6月には民族再建政府と名づけられた臨時革命政府も樹立され、FSLNとソモサの国家警備隊の間で全国で激しい内戦が繰り広げられる一方、都市では経営者をも巻き込んだゼネストが展開された。国民の総蜂起(ほうき)状態を前に79年7月、アナスタシオ・ソモサはアメリカに亡命し、FSLNは首都マナグアに入城して革命は成功した。
[後藤政子]
『後藤政子著『現代のラテンアメリカ』(1982・時事通信社)』▽『A・ヒーリー著、LA研究センター訳『革命のニカラグア』(1980・柘植書房)』