ガルシア
Victor Garcia
生没年:1934-
アルゼンチン生れの演出家。1946年ブエノス・アイレスで初めて劇団を結成。62年パリのテアトル・デ・ナシオン付属大学に入学。65年劇団コンクールに,ジャリ作《ユビュ王》の演出で優勝,一躍その名を知られるようになった。66年アラバル作《自動車の墓場》では,アルトーの演劇理論により,観客を劇場の真ん中に座らせ,四方で俳優が演じるという方式を実践し,エロティシズムと熱狂が混淆した内容と共に,演劇界にショックを与えた。67年カルデロン作《世界大演劇》をポルトガルで初演し,バロックを演劇的完成度に高めたとして注目された。69年マドリードで上演されたジュネ作《女中たち》や,70年上演のガルシア・ロルカ作《イェルマ》の舞台は,ラベリ,サバリなどのネオ・バロック派の演出の一環として大いに議論を呼んだ。好んで暴力や挑発を育てるようなガルシアの演出は若い世代に人気がある。
→前衛劇
執筆者:利光 哲夫
ガルシア
Carlos Polestico Garcia
生没年:1896-1971
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
ガルシア(Victor Garcia)
がるしあ
Victor Garcia
(1934―1982)
アルゼンチンの俳優、演出家。ブエノス・アイレスに生まれ、中学時代から母国で演劇活動を始める。1962年パリのテアトル・デ・ナシオン付属大学に入学。65年青年劇団コンクールにジャリ作『ユビュ王』で優勝。66年アラバール作『ポンコツ車の墓場』ほか2本の作品をコラージュし、観客を囲んで四方を舞台にするという、アルトーの演劇論を実践して大評判となった。その後カルデロン・デ・ラ・バルカ原作『世界大演劇』をポルトガルで、ジュネ作『女中たち』、ガルシア・ロルカ作『イエルマ』をスペインで上演。挑発的な演出で注目された。
[利光哲夫]
ガルシア(Carlos P. García)
がるしあ
Carlos P. García
(1896―1971)
フィリピンの政治家。大学卒業後2年目の1925年出身地ボホール州選出の下院議員(以後3期)、1934年同州知事、1941年上院議員(以後3期)を歴任。1953年副大統領、翌1954年外相兼任、対日賠償交渉に着手したが批准に失敗。1957年マグサイサイ大統領の事故死により第6代大統領に昇格。古いボス型支配や腐敗の横行が批判され、1961年「大統領に再選なし」のジンクスを破れず落選。
[黒柳米司]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
ガルシア
Garcia, Carlos Polestico
[生]1896.11.4. タルボン
[没]1971.6.14. ケソンシティー
フィリピンの政治家。 1923年フィリピン法律学校卒業後,教師,フィリピン議会議員,地方長官を経て,41~53年上院議員をつとめた。第2次世界大戦の日本軍占領中は抵抗運動を組織。 53年国民党から副大統領候補に指名され,R.マグサイサイ大統領のもとで副大統領兼外相,57年3月同大統領の急死で大統領に就任,11月の選挙で再任。 61年の大統領選挙では副大統領の D.マカパガルに敗れた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
ガルシア Garcia, Gonzalo
1557-1597* ポルトガルの宣教師。
元亀(げんき)3年(1572)イエズス会士に随行して来日。のちマニラでフランシスコ会にはいり,文禄(ぶんろく)2年(1593)豊臣秀吉のフィリピン使節原田喜右衛門の帰国の際,ペドロ=バウチスタにしたがって再来日。堺,京都で活動したが,サン-フェリペ号事件で捕らえられ,慶長元年12月19日長崎で殉教した。40歳。日本二十六聖人のひとり。インドのバザイン市出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
ガルシア
生年月日:1896年11月4日
フィリピンの大統領(1957〜61)
1971年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 