ネフスキーニコライ(その他表記)Nevskii Nikolai Aleksandrovich

20世紀日本人名事典 「ネフスキーニコライ」の解説

ネフスキー ニコライ
Nevskii Nikolai Aleksandrovich

07の東洋学者,言語学者 ソ連科学アカデミー東洋学研究所研究員;レニングラード東洋学研究所講師。



国籍
ソ連

生年
1892年2月6日

没年
1937年11月24日

出生地
ロシア・ヤロスラブリ

学歴〔年〕
ペテルブルグ大学東洋学部〔’14年〕卒

主な受賞名〔年〕
レーニン賞〔’62年〕

経歴
1915年ペテルブルグ大学(のちのレニングラード大学)派遣の官費留学生として来日。民俗学者の柳田國男、折口信夫、伊波普猷らと親交を結び、日本文化、日本民俗学を研究。’17年のロシア革命のため帰国を延期し、’29年まで日本に滞在、小樽高商、次いで大阪外国語学校、京大などのロシア語講師を務める傍ら、日本各地を調査旅行し、東北のオシラ信仰、アイヌのユーカラ、沖縄宮古島のフォークロアなどに関する論文を「民族」その他の雑誌に発表。’22年北海道出身の萬谷磯子と結婚。’29年ソ連に帰国、レニングラード大学とレニングラード東洋学研究所の講師となり、日本文化研究、西夏語研究を続行したが、スターリンによる粛清の犠牲となり’37年10月夫妻ともに逮捕され、11月24日レニングラードで銃殺刑に処せられた。死後’57年に名誉回復され、’62年には西夏文献学等の業績に対しレーニン賞を授与された。’90年長らく不明だった没年没地がソ連誌に掲載された略伝により判明。’91年、14年に及ぶ日本滞在中に沖縄宮古島の方言を記録したノートマイクロフィルムが、ソ連科学アカデミー東洋学研究所のL.グロムコフスカヤらにより早稲田大学図書館に寄贈された。邦訳書に「アイヌ・フォークロア」(北海道出版企画センター)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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