ネマニッチ朝(読み)ねまにっちちょう(英語表記)Nemanići

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネマニッチ朝」の意味・わかりやすい解説

ネマニッチ朝
ねまにっちちょう
Nemanići

中世セルビア王朝。ネマーニャ朝ともいう。ステファン・ネマーニャStefan Nemanja(在位1168~1196)が創設し、約200年間続いた。ネマーニャは、ビザンティン帝国の後継者争いに乗じてその支配を脱し、山岳地域(現在のモンテネグロ地方)の部族国家をも統一し、セルビアの領域を拡大した。統一後の課題は、国内の安定、領土の拡大、経済発展であった。ネマーニャを継いだステファン・プルボベンチャニStefan Prvovenčani(在位1196~1223)は、教皇ホノリウス3世から「王」の称号を得て「初代戴冠(たいかん)王」とよばれた。その後、ステファンの子ラドスラブRadoslav(在位1223~1234)、ブラディスラブVladislav(在位1234~1243)およびウロシュ1世Uroš Ⅰ(在位1243~1276)が、そしてウロシュ1世の子ドラグティンDragutin(在位1276~1282)とミルティンMilutin(在位1282~1321)が王位につき、徐々に領土を南に拡大した。さらに、ミルティンの子ステファン・デチャンスキーStefan Dečanski(在位1321~1331)が即位し、その子ドゥシャンDušan(在位1331~1355)治下のセルビアは、バルカン半島南部をほぼ覆って最大の領域を有することになり、ビザンティン帝国を脅かすに至った。ドゥシャンが熱病で死去したあと、一人息子のウロシュ5世Uroš Ⅴ(在位1355~1371)が王位につくが、国内は混乱し分裂状態が生じた。こうした状況のなか、オスマン帝国バルカンへの進出を開始し、1371年にセルビア諸公の連合軍をマリーツァ河畔の戦いで打破した。この直後にウロシュが死去し、ネマニッチ朝は断絶した。

[柴 宜弘]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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