ハンセン病予防対策(読み)ハンセンびょうよぼうたいさく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンセン病予防対策」の意味・わかりやすい解説

ハンセン病予防対策
ハンセンびょうよぼうたいさく

ハンセン病の予防と治療,患者とその家族への支援,なおった人々の社会復帰およびこの病気に対する社会の偏見を正すことを目的とする事業。かつては救らい事業と呼ばれ,古くは奈良時代に光明皇后によって建てられた悲田院や,鎌倉時代に奈良の北山宿に建てられた北山十八間戸などの患者収容施設および施療がある。近代では,明治に入って 1889年に,フランスの神父テストブィドが静岡県御殿場に,日本最初のハンセン病病院である復生病院を開いた。 1931年に貞明皇后の御下賜金で発足した財団法人癩予防協会は,現在藤楓協会の名で患者や家族の相談,就労支援,思想普及などに活躍している。なお光田健輔は,1930年岡山県長島に設けられた国立らい療養所の長島愛生園長として,3000人の収容患者から父と仰がれた。法的には 1907年に癩予防法 (らい予防法に改正〈1953〉) が制定され,厚生省がハンセン病の予防と患者の早期発見,早期収容運動を管轄,かつ軽快した人々の社会復帰に努めていたが,患者の隔離に対して批判が高まり,96年に同法律は廃止された。

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