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貞明皇后 ていめいこうごう

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美術人名辞典の解説

貞明皇后

大正天皇の皇后。昭和天皇の生母、公爵九条道孝の四女。名は節子。華族女学校卒。大正天皇崩御後皇太后となり、ハンセン病の予防と救済、養糸業奨励などに尽力した。また若い頃から国語・国文にも長じ、特に和歌を能くした。昭和26年(1951)崩御、66才。

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デジタル大辞泉の解説

ていめい‐こうごう〔‐クワウゴウ〕【貞明皇后】

[1884~1951]大正天皇皇后。名は節子(さだこ)。公爵九条道孝の四女。昭和天皇および秩父宮雍仁(やすひと)・高松宮宣仁(のぶひと)・三笠宮崇仁(たかひと)各親王の生母。

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百科事典マイペディアの解説

貞明皇后【ていめいこうごう】

大正天皇の皇后。九条道孝(みちたか)の第4女。名は節子(さだこ)。1900年東宮時代の大正天皇と結婚。裕仁(ひろひと)(昭和天皇),雍仁(やすひと)(秩父宮),宣仁(のぶひと)(高松宮),崇仁(たかひと)(三笠宮)の4皇子をもうける。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

貞明皇后 ていめいこうごう

1884-1951 大正天皇の皇后。
明治17年6月25日生まれ。九条道孝の4女。明治33年皇太子嘉仁(よしひと)親王と結婚,昭和天皇,秩父宮雍仁(やすひと)親王,高松宮宣仁(のぶひと)親王,三笠宮崇仁(たかひと)親王を生んだ。大正元年皇后,昭和元年皇太后。ハンセン病患者の救済に尽力。昭和26年5月17日死去。66歳。東京出身。華族女学校初等中学科修了。名は節子(さだこ)。

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世界大百科事典 第2版の解説

ていめいこうごう【貞明皇后】

1884‐1951(明治17‐昭和26)
大正天皇の皇后。名は節子(さだこ)。公爵九条道孝の女で,1900年東宮時代の大正天皇と結婚,天皇裕仁をはじめ4皇子をもうけた。病弱な天皇をたすけ,また救癩,養蚕,灯台などの事業の奨励につとめた。《貞明皇后御集》に和歌,漢詩を収める。【武部 敏夫】

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大辞林 第三版の解説

ていめいこうごう【貞明皇后】

1884~1951) 大正天皇の皇后。名は節子さだこ。九条道孝の娘。昭和天皇・秩父宮雍仁やすひと・高松宮宣仁のぶひと・三笠宮崇仁たかひと親王の生母。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

貞明皇后
ていめいこうごう

[生]1884.6.25. 東京
[没]1951.5.17. 東京
大正天皇の皇后。名は節子 (さだこ) ,諡は貞明皇后。公爵九条道孝の4女。 1900年5月 10日皇太子嘉仁 (よしひと) 親王 (のち大正天皇) と結婚。昭和天皇,秩父宮雍仁 (やすひと) ,高松宮宣仁 (のぶひと) ,三笠宮崇仁 (たかひと) 親王の母。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

貞明皇后
ていめいこうごう
(1884―1951)

大正天皇の皇后。昭和天皇、秩父(ちちぶ)宮雍仁(やすひと)親王、高松宮宣仁(のぶひと)親王、三笠(みかさ)宮崇仁(たかひと)親王の生母。名は節子(さだこ)。明治17年6月25日公爵九条道孝(くじょうみちたか)の第四女として生まれる。1898年(明治31)華族女学校小学部を卒業、1900年5月10日皇太子明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王と結婚。12年(大正1)7月30日明治天皇の死去とともに皇后の宣下を受け、15年11月即位の大典を挙行した。26年12月25日大正天皇の死去により皇太后となり、30年(昭和5)には大宮御所(赤坂離宮御苑内)に移り、昭和26年5月17日狭心症のため死去、同年6月貞明皇后と追号された。陵墓は東京都八王子市の多摩東陵で、大正天皇と並んで葬られている。皇后としては病弱な大正天皇によく尽くし、皇太后としては救癩(きゅうらい)事業などを援助した。また和歌をたしなみ、それらは宮内庁書陵部編『貞明皇后御集』に収められている。[宇野俊一]

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20世紀日本人名事典の解説

貞明皇后
テイメイコウゴウ

明治〜昭和期の皇族 大正天皇皇后。



生年
明治17(1884)年6月25日

没年
昭和26(1951)年5月17日

出生地
東京・神田

学歴〔年〕
華族女学校中等科修了

経歴
御名節子(さだこ)。五摂家の一つ、九条公爵家道孝の四女。高円寺の農家でお育ちになり、明治33年に16歳で皇太子嘉仁親王(大正天皇)とご結婚。裕仁親王(昭和天皇)をはじめ、秩父宮、高松宮、三笠宮の4皇子をご出産。この嫡出の男子の相次ぐ誕生により、皇室の一夫一婦制が宮中に初めて確立。45年7月30日明治天皇の死去に伴う嘉仁親王践祚により皇后になられる。病弱な大正天皇と若い摂政を助けて宮中をとりしきり、国際親善にもご尽力。終生の事業として養蚕のご奨励、救ライ(ハンセン病)事業、灯台職員のご慰問を続けられたが、大正天皇死後は皇太后として大宮御所で起居された。その和歌、漢詩は「貞明皇后御集」にまとめられている。

出典|日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
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