ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バウンティ号の反乱」の意味・わかりやすい解説
バウンティ号の反乱
バウンティごうのはんらん
Bounty Mutiny
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…〈理想郷〉の汚染は急速で,最初の訪問からわずか8年後,1777年に3度目の訪問をしたクックが住民の生活の荒廃を嘆いているほどであった。 当時タヒチ島では,各地区に割拠する大小の首長たちの間で抗争が繰り返され,全島を支配する権力を欠いていたが,この状態に終止符を打ち,全島の政治的統一に貢献したのは,バウンティ号の反乱者たちである。ウィリアム・ブライに率いられたバウンティ号は,西インド諸島に運ぶパンノキの苗木を入手する目的で1788年にタヒチを訪れ,5ヵ月間滞在した。…
…考古学的な証拠から先住民がいたのは明らかであるが,彼らがどこから来てどこへ去ったのかは不明である。けわしい崖に囲まれ,面積5km2,人口55人(1995)のこの島が有名なのは,住民たちの出自の特異性のためで,彼らの大部分はバウンティ号の反乱を起こした水夫たちとタヒチ島の女性たちとの子孫である。1789年トンガ諸島沖合で,バウンティ号の航海士フレッチャー・クリスチャンらは司令官ウィリアム・ブライと反乱にくみさぬ士官たちをボートに乗せて追放し,バウンティ号の乗取りに成功した。…
…現在の主産業は真珠養殖とエビ漁である。1789年にバウンティ号の反乱で追放されたW.ブライ艦長らが漂流,来航し,近くの水曜島,金曜島などとともに命名したといわれる。【谷内 達】。…
※「バウンティ号の反乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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