セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスが1929年に解散した後、その遺産を継承すべく結成されたバレエ団。実際には2つの異なるバレエ団があった。まず32年に元コサックのド・バジル大佐と、モンテカルロ歌劇場の芸術監督のルネ・ブリュムが共同で「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ(Les Ballets Russes de Monte Carlo)」を結成。36年にド・バジルがブリュムを追い出し、「ド・バジル大佐のバレエ・リュス」と改名。その後このバレエ団は「コベントガーデン・バレエ・リュス」「オリジナル・バレエ・リュス」と改名し、48年に解散。いっぽう、ブリュムは38年に「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ(Le Ballet Russe de Monte Carlo)」を結成、42年からはロシア出身の興行師セルゲイ・デナムが監督となり、62年まで存続した。どちらのバレエ団も、ディアギレフのバレエ・リュスのように新しいバレエを開拓することはできなかったが、世界各地で公演してバレエを普及するとともに、ディアギレフのバレエ・リュスの作品を現代に継承するのに貢献した。アメリカで「バレエ・リュス」といえば、ふつうディアギレフの「バレエ・リュス」ではなく、この2つのうちのいずれかを指す。2007年に日本公開された映画『バレエ・リュス』は、この2つのバレエ団にいた人々の活躍とその後を描いたドキュメンタリーである。