ディアギレフ(読み)でぃあぎれふ(英語表記)Сергей Павлович Дягилев/Sergey Pavlovich Dyagilev

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディアギレフ」の意味・わかりやすい解説

ディアギレフ
Diaghilev, Sergei Pavlovich

[生]1872.3.31. ロシア帝国ノブゴロド
[没]1929.8.19. イタリア,ベネチア
ロシアのバレエ・プロデューサー,バレエ・リュスの主宰者。20世紀初頭に画期的な芸術運動を展開,バレエの近代的復興をなしとげた。貴族の子として生まれ,初めサンクトペテルブルグで法学を勉強。のち音楽に転じて 1892年同地の音楽学校を卒業。美術雑誌『芸術世界』Mir Iskusstva(1898~1904)を発行。1899~1901年マリインスキー劇場バレエ団の監督助手を務める。1908年パリのオペラ座でフョードル・イワノビッチ・シャリアピンらロシア人音楽家を用いてモデスト・ペトロビッチ・ムソルグスキーオペラボリス・ゴドゥノフ』を公演。以後はバレエを専門に手がけ,1909年バレエ・リュスをパリで結成イーゴリ・フョードロビッチ・ストラビンスキーら音楽,美術,舞踊など各界の尖鋭な芸術家を起用,総合芸術として融合させ,『シェエラザード』(1910),『牧神の午後』(1912),『春の祭典』(1913),『火の鳥』(1916),『三角帽子』(1919)などの野心作ロンドンモンテカルロ,パリ,ニューヨークなどで次々に発表。高い教養と優れた統率力,抜群の興行センスをもち,常に新しい芸術運動の先頭に立って,世界のバレエ界を 20年にわたって制覇した。バレエ・リュスは 1929年ディアギレフの死とともに解散

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディアギレフ」の意味・わかりやすい解説

ディアギレフ
でぃあぎれふ
Сергей Павлович Дягилев/Sergey Pavlovich Dyagilev
(1872―1929)

ロシアのバレエ団主宰者。3月19日、ノブゴロドの貴族の家に生まれる。1898年友人と『芸術の世界』を創刊(~1904)。ヨーロッパ各地に、美術のみならず音楽やバレエなどロシア芸術の紹介に努めた。1909年、ディアギレフ・ロシア・バレエ団を組織して、パリで旗揚げし、以降20年間その団長として活躍、ロンドン、パリ、モンテカルロ、ニューヨークなどで次々と公演を行った。ロシアの野性を象徴するニジンスキーの踊り、ストラビンスキーの音楽など、エキゾティシズムリリシズムを兼ね備えたロシア・バレエはヨーロッパの社交界、芸術界を巻き込み、時代をリードした。世界の舞踊界に大きな影響を与えた彼は、29年8月19日にベネチアで死去した。

 ロシア・バレエ団に関係した美術家にバクスト、ブノア、ピカソ、マチス、ゴンチャロフ、エルンスト、音楽家にストラビンスキー、サティ、プロコフィエフ、プーランク、ミヨー、オーリック、舞踊家にニジンスキー、パブロワ、カルサビナ、マシーン、バランチンなど数多い。

[市川 雅]

『R・バックル著、鈴木晶訳『ディアギレフ――ロシア・バレエ団とその時代』全2冊(1978、83・リブロポート)』

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