フランスの政治家、文学者。富裕なユダヤ商人の次男としてパリに生まれる。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)に入学したが中退し、パリ大学で文学、法学を学んだ。20余年間参事院判事として法律家の生活を送る一方、文芸批評家として活躍し、女性の性的解放を是認した『結婚について』やスタンダール研究などを発表して話題をよんだ。ドレフュス事件に際してはドレフュス擁護派に加担し、そのなかで社会主義者ジョレスと親交を結んだ。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)時にジョレスが暗殺されると、これを機に文学から離れて政治に身を投じ、大戦中は公益事業省官房長を務めた。1919年に47歳で初めて下院議員に出馬し当選。1920年の社共分裂に際しては右派の理論的支柱となり、新しい社会党の指導者となった。1930年代に反ファッショ人民戦線が成立し、1936年春の総選挙で左翼が勝利を収めると、第一党の党首として人民戦線内閣の首相に就任した。フランス史上最初の社会主義者の首相であり、最初のユダヤ人首相であった。組閣と前後して起こった労働者による未曽有(みぞう)の工場占拠の際、一斉賃上げを経営者代表に認めさせたほか、年2週間の有給休暇制、週40時間労働制などの社会立法を議会で矢つぎばやに成立させ、「ブルムの実験」、「フランス・ニューディール」とよばれた。しかし、不況克服に成功せず1年余りで退陣した。1938年にも1か月足らず首相を務めた。ビシー政権時代にはペタン政府により拘留され、ドイツで終戦を迎えた。戦後、栄光に包まれて帰国し、短期間(1946~1947)首相を務めた。
[平瀬徹也]
『福永英二・新関嶽雄訳『結婚について』(1951・ダヴィッド社)』▽『吉田八重子訳『人間から人間へ――わが人民戦線の回想』(1975・人文書院)』
フランスの文芸批評家,政治家。富裕なアルザス系ユダヤ人の絹物商の子としてパリに生まれた。高等師範学校在学中にジョレスと知りあい,ドレフュス事件に刺激されて社会主義者となった。ソルボンヌで法律を修めたあと官界に入り参事院請願委員となったが,かたわら文芸批評や演劇批評にたずさわり,《結婚論》(1907)などを書いて批評家として名をなした。第1次大戦後は政界に入り,1919年,社会党のセーヌ県選出下院議員となり,20年の党の分裂ののちは社会党の指導者としてその再建につとめた。35年7月には急進社会党,共産党などとともに人民戦線を結成,36年4,5月の総選挙で第一党となった社会党の党首として,6月,第1次人民戦線内閣の首相となった。この政府は有給休暇制,団体協約制,週40時間労働制を実現し,フランス銀行の改組,兵器工場の国有化,ファシスト諸団体の解散などをおこなったが,スペインの内戦にたいしては不干渉政策をよぎなくされ,37年6月総辞職,38年4月成立した第2次ブルム内閣は3週間の短命に終わった。40年にはビシー政府に敗戦責任者として逮捕され,ダラディエらとともにリオンで裁判にかけられたのちドイツに送られたが,45年アメリカ軍に救出されて帰国,社会党が共産党への対決姿勢を強める上で大きな役割を演じた。46年ワシントンへの特別大使,46-47年暫定内閣首相兼外相,48年マリ内閣副首相をつとめた。
→人民戦線
執筆者:山極 潔
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1872~1950
フランスの政治家。最初文学者,劇評家として出発したが,ジョレスと親交を結び社会党に入党した。第一次世界大戦後,共産主義者と分裂し社会党の指導者となった。1936年,人民戦線内閣の首相に就任。社会・労働立法を推進したが,経済回復に失敗し翌年辞職した。第二次世界大戦中はヴィシー政権に捕えられ,ドイツに抑留されたが,アメリカ軍に救出され,46~47年暫定内閣首相を務めた。
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…これにはエリオら6名の急進党員が参加したが,極右翼に強い姿勢を示さない政府に対する不満が強まり,35年には党はダラディエの主導下に人民戦線に参加した。36年6月誕生したブルムの人民戦線内閣は,社会党と急進党を主力として構成され,ダラディエは副首相兼陸相として入閣した。しかし38年自ら首相となったダラディエは,ヒトラーに屈してズデーテンをドイツに引き渡すミュンヘン協定に調印し,人民戦線を瓦解させた。…
…これは創設以来世界革命を目標に掲げる国際機関として活動してきたコミンテルンにとって,最も重大な政策転換であり,国際的に大きな影響を及ぼすものであった。 36年5月議会選挙で人民戦線派が勝利を収め,6月4日社会党のレオン・ブルムを首相とする人民戦線内閣が成立した。この勝利は,新たに開かれた政治的・社会的な変革の可能性に期待する人々のエネルギーの解放を伴った。…
※「ブルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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