ビベロ・イ・ベラスコ(その他表記)Vivero y Velasco, Don Rodrigo de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビベロ・イ・ベラスコ」の意味・わかりやすい解説

ビベロ・イ・ベラスコ
Vivero y Velasco, Don Rodrigo de

[生]?
[没]1636
スペインのフィリピン臨時総督。ドン・ロドリゴとも呼ばれる。幼時王妃の小姓をつとめ,のちメキシコに渡り,1599年にはヌエバ・ビスカヤ地方長官 (兼軍司令官) となり,1608年フィリピン臨時総督としてマニラ赴任した。在任中,日本に船を出して日本人暴徒の処罰と貿易船制限を幕府に要請,徳川家康秀忠の答書を得た。 09年後任総督シルバに事務引継ぎののちメキシコに向ったが,途中乗船『サンフランシスコ』号が上総岩和田に難破。大多喜城主本多忠朝に救われ,家康,秀忠に謁し,次いで田中勝助らの日本船でノビスパン (メキシコ) に送還され,家康の要請でメキシコとの貿易開始にも尽力した。 20年パナマ地方長官兼司令官となる。晩年バリエ・デ・オリサバ伯を授けられた。村上直次郎訳注『ドン・ロドリゴ日本見聞録』がある。

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朝日日本歴史人物事典 「ビベロ・イ・ベラスコ」の解説

ビベロ・イ・ベラスコ

没年:1636(1636)
生年:生年不詳
スペインの植民地行政官。幼時,アナ王妃の小姓を勤めた。長じて新イスパニヤ(メキシコ)に渡り,行政・軍事的才能が認められ,1599年新ビスカヤの長官兼軍事司令官,翌年にはタスコ鉱山町長官に任命された。1608年フィリピン臨時総督としてマニラに赴任。暴動を起こし入獄中の日本人を放免し,徳川家康および秀忠に書状を送り渡航船数の制限を要請。慶長14(1609)年,後任総督と交代してメキシコに帰任の途中,上総岩和田(千葉県夷隅郡御宿町)で遭難,救助され,家康の希望にそい,翌年帰国して日本・メキシコ間通商開始に努めた。1620年パナマ地方長官兼軍事司令官になる。日本での風俗・習慣などの見聞をまとめたのが『ドン・ロドリゴ日本見聞録』(村上直次郎訳註)。

(野間一正)

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